2002/06/25 1:00 いい加減日記のネタもつきてくる。 前の土曜日だか金曜日だかのように、 書ける日はいくらでも書けるのだが…。 まあ、調子が良かろうが悪かろうが、 ネタがあろうがなかろうが、 とにかく続けるのが日記というものかも知れない。 まあ、こんな文章ならいつでも書けるのだ。
朝日新聞の夕刊に、 「おまえはそれでも日本人か」というのが戦時によく言われた、 という話が載っていた。 話の内容自体は非常に哲学的で、 著者から言わせれば、僕のような若造には 10年経っても理解できない、という感じの文章だ。 なんか日本語がおかしいか…?
それで、僕はつい最近この言葉を言われた。 もしかしたら、他にも言われた記憶のある方がいるかも知れない。 僕は、基本的にナショナリズムが嫌いだ。 日本人であるという誇りなんて何の役にも立たないと思っているし、 教育方針に「日本人であるという自覚」などというのが入っていると 国家によるマインド・コントロールではないか、と疑ってしまう。 誇りと埃(ホコリ)は、僕にとってほぼ同価値であると言っていい。 どちらも1円にもならない。 損をする確率が高い分、誇りの方が存在価値は低いかも知れない。
それで、どのようなシチュエーションで言われたのかと言えば、 それはワールドカップである。 日本戦なんか見ないで寝ていた、と言ったら、 「おまえはそれでも日本人か。」と言われたわけだ。 このことからも分かるように、 ワールドカップはナショナリズムと密接に絡み合っている。 「サポーター」と称するファンが意識していなくても、 国家にとってワールドカップは国威発揚の場であるのだ。 自分はサポーターだ、と言って悦楽に酔いしれる前に、 そのことを十分意識すべきだと僕は思う。
日本の勝利を願っているというと聞こえはいいが、 要するにそれは、相手チームの敗北を願っているということである。 それが嫌ならば引き分けを願えばいいのだ。 人間とは争わずにいられない生物なのだろうから 勝負をするのは仕方ないと思うが、 それを正当化するのはやめた方が人類のためではなかろうか。 争いごとは、その程度の差こそあれ、 要するに目的は相手を傷つけることである。 傷つける対象は相手の肉体であったり名誉であったりと様々だが、 自分が何らかの攻撃を行うことで 相手よりも自分が上に行こうとする行為は、すべて糾弾されるべきである。 少なくとも、賞賛されるべきではないと僕は思う。 優れた技術を持つのはいい。 しかし、その技術を使って相手を貶め、陥れ、 大きな精神的ダメージを与える行為が正当なものであるとは どうしても思えないのだ。
これは、本人たちが望めばいいという問題ではない。 争いは、必ず他に影響を及ぼすからだ。 だからこそ、争いに対しては冷徹な視線を持って対するのが正しいと思うのだ。 勝者の陰には、必ず敗北者が存在する。 僕は勝者になったこともあるが、多くの場合は敗北者として人生を過ごしてきた。 すでに、敗北者であることに何の感情も覚えない。 だが、それでいいと思っている。 人生において勝ち続けてきた者は、 すべてではないだろうが、多くの場合勘違いを犯す。 事例を示すまでもないだろう。 本来優秀であるはずの官僚などを見れば明らかである。
人間は理性ある生物なのだから、 勝ったり負けたりしなくても生きていけるはずだ。 常に勝ち続けていなければ、敗北者を作り続けなければ 生きられない人間は、人としてどこか欠如しているように思える。 もちろん、自分に勝つという表現があるし、 敗北者を作らないのであれば、このような発想法自体は悪くないと思うのだが。 何かに立ち向かい、勝利するのはいい。 しかし、その陰に敗北者が存在することを、 あまりに多くの人が忘れては、あるいは視界から外してはいないだろうか。
もしあらゆる争いをやめることができたなら、 そのときは、きっと理想に一歩近づいたときとなるだろう。
弟が風邪を引いている。 僕ののども痛くなってきた。 もしかしたら風邪をうつされているのかも知れない。 ようやく彼女とも仲良くなれてきたというのに…。
一応書いておくと、 昼に会ったっきり、「おはよう」とだけ言って それからずっと話していなかった。 しかし、帰るときにレポートをやる予定をねじ曲げて 一緒に帰ったことで、一応話す機会は持つことができた。 とにかく話す機会だけ持っておけば、 そう簡単に関係が遠ざかることはないだろう。
なんだか知らないが、 このPCはレポートを書くときだけやたらと協力的だ。 レポートをやらないでサボっていたときはあっという間に落ちたのだが、 レポートをやり始めたらいくら新しいWebページを開いても落ちない。 どうも、不安定なこのPCに何らかの人為的意図が加わっているように思えてならない。
ちなみに、下の(了)は、時事通信社で使われていた書式のはずである。 今でも使われているのかも知れない。 スラッシュ二本はC言語から、時間は参考のためである。
この日記、少し字を大きくしたのだが、どうだろうか?
// (了) 2002/06/24 1:26
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