毎度のことながら年度末・年度始めと気ぜわしい日々を送ってきた。加えて、東日本大震災もあって、暗い気分で過ごす時が多かったような・・・。大規模地震、そしてあまりにショッキングな津波の映像、さらには現実のものになってしまった原発の恐怖。自然に対する脅威を呼び覚まされ、また原子力という制御不能なものを持ってしまった文明をこの際徹底的に見直さなければと考えさせられた。 個人的には、仕事中に胸をひどく締めつけられるような症状に襲われ、緊急通院する事態も起こった。心筋梗塞か、あるいは重篤な病かと、精神的にも追い詰められたが、数日後に「肋間神経痛」に類似した症状と判明(これは病院ではわからず、行きつけの鍼灸院でわかったことなのだが)。徐々に快復はしてきたが・・・。
ところで、「こんな時期にこそ音楽(お笑い・芸能・祭り等と言い換えてもいいが)が必要ではないか」(反対に、自粛すべきという意見もあるだろうが)という意見を聞くが、俺はこの意見に基本的には賛成だ。 基本的に、と言った。この先の意見は俺の好みの問題かも知れないが(また、俺のような感じ方は少数派に属するのかも知れないが)、一方でこんな時期だからこそ聴きたくない音楽というのもある。 「がんばろう東北」「がんばろうニッポン」という言葉に俺は若干の違和感を持ってしまうのだが、いわゆる「がんばろうソング」には違和感を通り越して腹立たしささえ感じてしまうことがある。「がんばろう」的メッセージの薄っぺら加減が透けて見えてくるような音楽には耳を塞ぎたくなってしまう。少数かも知れないが、俺と同様な感じ方をする人は一定数存在すると思う。 こんな時期だからこそ、それぞれの表現に対して、その姿勢が問われているのだとも思う。このあたりはきわめてナイーブ問題だとは思うが、表現者やそれに関係する人には特に自覚的であって欲しいと思う(俺自身はプロの表現者ではないし、周りへの影響力も少ないが、たとえそうあっても、アマチュアとて例外ではないと思っている)。
さて、話したいことはまだあった。 今年1月、チンドン太鼓をやってる友人Tさんから「きっと好きだと思うから聴いてみて」と、<踊ろうマチルダ>のCDを手渡された。期待感を持って聴いて、そして、完全にはまってしまった。 <踊ろうマチルダ>は釣部修宏(ツルベ・ノブヒロ)の一人ユニットだが、世界のルーツミュージックをベースにした独自の世界観を感じさせる作品といい、二十代らしからぬブルージーなヴォーカルといい、好きな要素が満載だった。 この2〜3ヶ月、<踊ろうマチルダ>の楽曲を聴きまくった。心の支えにもなっていた。話を蒸し返すようだが、そこには軽薄な「がんばろう」的メッセージはない。人生の起伏を、時に激しく、時にロマンチックに、時にリリカルに、歌いかける。それが、俺にはすごく届いてくるんだな。
で、今夜は待ちに待った<踊ろうマチルダ>のライヴだったというわけだ。いやぁ、ここまでが長かったな。 ライヴ会場は、今池「TOKUZO」。「きっとマイナーなアーティストだから、そんなに客は入っていないだろう」ってタカをくくっていたのだが、ざっと見て150人くらいはいたかな? 会場にぎっしり人が入っている感じで、ライヴが始まってからの盛り上がりがハンパじゃなかった。 CDでは何回も聴いていたが、やはり生音・生声は何ものにも代え難い。ギネスやスコッチウィスキーなんかを飲みながら、<踊ろうマチルダ>の世界にどっぷり入り込んだ。気持ちよく酔い、最高な夜だったゼ。
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