夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2007年01月06日(土) 笑門来福

   尾張万歳は、地元の伝承によれば,鎌倉時代,
  正応の年号(1288〜1293)の時に,現在
  の名古屋市東区矢田町にある長母寺の開山,無住
  国師が『法華経万歳』を作ったのが始まりとされ
  る。
   室町時代には,長母寺の領内であった知多半島
  にまで広がっていった。江戸時代になって四つの
  儀式的演目『六条万歳』『神力万歳』『地割万歳』
  『御城万歳』が加わり”五万歳”として尾張万歳
  の基本ができあがったとされる。この”五万歳”
  は宗教的・儀式的色彩が強いものであった
  が,一方では近世を通じて『福倉持倉(ふくくら
  もくら)』『入込(いりこみ)』『三曲万歳(さ
  んきょくまんざい)』『御殿万歳(ごてんまんざ
  い)』などの娯楽的な要素を持った演目が加わり
  芸能性が高められていった。多く,尾張万歳は農
  民たちの農閑期の出稼ぎ芸として行われるように
  なったため,家々の軒先で演ずる門付(かどづけ)
  万歳や得意先の座敷の上で演ずる檀那場(だんな
  ば)万歳という形で,正月を中心に,関西,中部,
  関東地方一円の津図浦々をまわり稼ぎをするよう
  になって尾張地方にとどまらず活動範囲も広がり
  全国に知られていった。
   明治維新後は,遊芸稼人の鑑札を受け,さらに
  娯楽性加えられ,各地を巡業する一座も出現する
  ようになってくる。のちに漫才(まんざい)と文
  字を変え,演芸館やラジオなどで大流行するもの
  のルーツとなった。
   尾張万歳は,扇子を持った太夫と鼓を持った才
  蔵との二人一組で,才蔵の鼓にあわせて太夫が祝
  言を述べて舞ったり,言葉の掛け合いをしたりす
  るのが基本となっている。演目によって,太夫一
  人に才蔵が複数ついたり,三味線と胡弓が加わる
  ものもある。
   (尾張万歳保存会ホームページより)

 昼過ぎ、徳川園に出かけ、そこで尾張万歳を観た。これが思いのほか面白かった。現在の漫才のルーツとも言われるが、とても素朴な笑いというのか、ほんわかとした笑いを醸す芸能なのだ。明治以降、三河万歳が神道色の強いものになった一方、尾張万歳はより芸能的に変化を遂げたという。また、小沢昭一『日本の放浪芸』(岩波現代文庫,2006)などによれば、万歳は日本各地にあるともいう。いずれにしても一見の価値はあると思う。

 尾張万歳の実演が終わってからは徳川美術館を観てまわり、その後、近くの喫茶店「ぱんとまいむ」で開催の「ぱんとまいむ寄席」を観に行った。素人に毛が生えた程度とタカをくくっていたが、さにあらず。竜宮亭無眠、道落亭かね平、川の家河太朗のお三方は、なかなかにレベルが高い。たっぷり笑ってワンコインていうのは非常に安い。
 毎月第一土曜日の夕方に開催の「ぱんとまいむ寄席」、こちらもまた一見の価値あり。

 といった具合で、とてもよく笑った一日。「笑う門には福来る」の言葉通り、この一年、幸福でありますように。福の神の皆々様、よろしゅう頼んまっせ。


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夏撃波 [MAIL]