夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2004年01月21日(水) 「田中一村展」、新作能『不知火』(予告編)etc.

 宿直明けの今日、首都圏へ向けて出発。水俣病をモチーフとした新作能『不知火』(石牟礼道子・原作)の「予告編」とでも呼ぶべきイベント、そして日本ろう者劇団による手話狂言、等を観るためだ。

 午後、まずは新幹線で横浜へ。現在横浜そごう美術館でおこなわれている「田中一村展」を観に行った。「日本のゴーギャン」などとも称される一村は、中央画壇に背を向け、自らの才能のみを信じ、ひたすら絵を描いた。1958年、50歳の時に奄美に移住し、生命力に満ちあふれた亜熱帯の自然をいきいきと描ききった。
 その一村、奄美に移住後、ハンセン病療養所・奄美和光園を頻繁に訪れ、一時期はその官舎に住み、小笠原登医師との共同生活の日々を送ったという。その当時、国策として「らい予防法」によるハンセン病患者の隔離が当然のように行われていた時代に、小笠原は患者の隔離に反対し続け、独自の医療を展開していた。「変わり者」と呼ばれながらも自らの信念を貫こうとする姿勢は、一村と小笠原とに共通しており、二人は意気投合したらしい。出会いとは本当に不思議なものだなあ。
 自らの信念を貫くことは、いつの時代においても困難を伴うものだと思う。彼らが生きている間には決して正当な評価がなされなかったであろうが、今日になって再評価されてきている二人である。彼らの生きざまから学ぶべき点は多い。

 横浜を後にして、「川崎・水俣展」会場へ。
 「水俣病」はチッソ水俣工場からの排水に含まれていた有機水銀を原因とし、人間に対する深刻な健康被害、環境破壊を招いた。そればかりか、チッソの「企業城下町」にあって「被害者」はいわれなき差別に苦しめられ、地域の人々の絆は断ち切られた。長い年月「被害者」に対する救済はないままに放置され、身体的、精神的、経済的にも苦境に置かれた。そして今、国の責任は認められないままに安易な「最終解決」によって幕引きがはかられている。そんな「悲劇」が進行する一方で、屈することなく力強く生きている「被害者」の生きざまに深い感動を覚えずにはいられない。今でも漁に出てられる杉本栄子さん、「被害者」でありながら自らの「加害者性」を見つめ続ける緒方正人さん(『チッソは私であった』などの著書がある)、有機栽培の甘夏を生産する人々・・・、他にも素晴らしい人々がたくさんいる。「水俣」は私たちに多くのことを教えてくれている。歴史に学ぶ謙虚な気持ちを忘れないでいたいものである。

 「水俣展」の展示会場を後にして、川崎能楽堂に向かう。「水俣展」のイベントとして行われる「新作能『不知火』謡とお話の夕べ」に参加。まずは、立教大学教授・栗原彬さん(『証言水俣病』その他著書多数)と『不知火』制作者・土屋恵一郎さん(能の評論など多数)による「新作能『不知火』制作のいきさつ」などのお話を伺う。昨年の東京公演のビデオを観た後、観世流シテ方・梅若六郎さんが登場して謡を披露。「能の見方」を知るにはいい機会となったが、やっぱり能の衣装をつけた生の舞台を観たいものだと思った。
 今年の8月、『不知火』水俣公演が「野外劇」として行われる予定だという。万障繰り合わせて何とか観に行きたいものだ。

 川崎を後にした私は、新宿へ向かう。何も新宿である必然性はないのだが、なぜか好きなんだな、新宿が。予約しておいた安宿に向かう途中、歌舞伎町、ゴールデン街、花園神社等を通り抜けていく(わざわざそこを通る必要もないのだけど)。
本日宿泊のビジネスホテル、1泊5400円と安いのだが、0時30分という門限があって、部屋にバスはない。その代わり大浴場が0時30分まで入れる。まあ、少しでも安く上げるためだ。贅沢は言ってられないし、これで十分だ。2月にもまた芝居を観るため上京する。このこと自体が私にとっては贅沢な楽しみというものだと思う。


 < 過去  INDEX  未来 >


夏撃波 [MAIL]