昨日で年内の仕事は終了し、9連休に突入した。休み中は、東京で1日遊んでから故郷の山梨に数日帰省(寄生?)の予定。実家に帰る時の気分は何とも複雑なのだけれど・・・。 それはさておき、今日は今年最後の(たぶん)病院通い。久しぶりに漢方医の診察を受ける。かのドクトルとは10年近いつきあいとなろうか。もともと胃腸はじめ消化器系が弱い私であるが、ちょっと疲れが溜まると弱い部分にどうしてもしわ寄せがくるというもの。で、たまにそのドクトルの診察を受ける。ドクトル曰く、「昔より表情がいいというのか、余裕みたいなものが感じられる」。そうだよな、20代の頃には一つひとつのことを重く背負い込み過ぎていたからね。ぶざまなところも多々あった。でも、一方で私はその頃の自分がいとおしくさえ感じられる。なんだかんだ言っても、今はだいぶ楽に生きている気がする。だからといって、すべてに満足はしていないし、20代の頃には考えもしなかった悩みも一方で出てきた。それっていまひとつ言葉になりきらないものなのだが・・・。
夕方、自分が出演している芝居のビデオ2本(『檻と盆栽』『幻想ヒポカンパス〜太陽と王権〜』)と「劇団夢の遊眠社」の公演ビデオ(『贋作・桜の森の満開の下』)を観た。 まず、自分の出演しているものに関しては、気恥ずかしい思いがする。特に、『檻と盆栽』での私の芝居なんぞ下手で下手で見ていられねえって感じだね。 一方、他人様の出ているものは冷静に見られる。野田秀樹演出の芝居を生で観たことはない。ビデオでもキチンと観るのは初めてだ。で、その感想だが・・・。軽妙な動きといい、機関銃のようにあふれ出す言葉遊びといい、面白いことは面白い。でも、個人的には趣味じゃないんだな。たぶん軽薄より重厚を求めているんだろうな。骨太というのか、泥臭さというのか・・・。 つまんない芝居は吐いて捨てるほどあるだろうけど、私はどちらかというと「その芝居のよいところを見よう」とする傾向がある。それでも救いようのない芝居はあるけどね。観た後に「よかった」と感ずるかどうか、その良さとはどの程度のものか、といった点については、最後のところでは個人の嗜好の部分が大きいと思う。
嗜好という話が出たついでに、今日は、私の嫌いなテレビドラマについて綴っておきたい。テレビドラマなんて普段はあまり見ないし、多くは駄作だと思っている(なかには秀作もあるが)。でも、駄作であっても、「愛すべき駄作」と「胸くそ悪い駄作」とははっきり区別しておきたい。その基準というのは「笑えるかどうか」という点が大きい。例えば、『真珠夫人』は「愛すべき駄作」だと思う(ばかばかしくても笑える要素がたっぷりだ)。 一方、「胸くそ悪い」の代表が『渡る世間は鬼ばかり』ではなかろうか。あれを見ている人には申し訳ないが、あんなものを見ている人の気が知れない。どっちにしろ私は今後も見ることはないのだし、いちいち目くじら立ててまで言わなくてもいいのかもしれないけど・・・。 でもね、「私、実は芝居やってるんです」と私が第三者に話しかけた際に、例えば「私、劇団四季をよく観るんです」とか「私、お芝居は、トレンディードラマや『渡る世間』ぐらいしか知らないんです」などと返ってきたら(実際あった)、私には後につなげるべき言葉が見つからないのだ(「劇団四季」はまあしょうがないとして、『渡る世間』なんぞと一緒にされた日にゃ〜)。尤も「pH-7」の芝居がイヤだという人もいるだろうし、それとて致し方ないことと思うのだけれども。 他人様のことを悪く言ってしまったが、相手からすれば、私の方こそおかしいのかもしれない。だいたい私は、大多数が愛するものよりも、少数者が偏愛するもののほうを好む傾向が強い。別に少数者になろうとしているわけではないのだが、気がつけば少数の側にいることが多い。
とりとめなく書き始めた日記だが、なかなか終われなくなってしまった。ということで、今日はこれにて。
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