| 2002年08月30日(金) |
棘はずっと刺さったまんまだ |
棘はずっと刺さったまんまだ
物心ついた頃には 私のからだじゅうのあちこちに 棘は深く深く刺さっていた
それは痛みをともなって 私の意識は 否応なく その棘に向かわされる 棘はずっと刺さったまんまだ その棘を抜こうと何度も試みた だが 抜こうとすればするほど 棘はますます奥深く 私のからだの中心を突き刺した
棘はずっと刺さったまんまだ
激しい痛みとともに 私は気を失いそうだった 棘は遠慮会釈なく 私のなかに居座った
最早棘を抜くのは不可能だった 私は次の手を考えついた 自らを滅ぼすことにより 棘をも消滅させようと思ったのだ 結局 その計画は実行されなかった
そして今 私はこうして生きている すなわち 棘はずっと刺さったまんまだ
膝を抱え からだをまるめ 身を固くして 痛みに耐えつづけた
痛みに耐え 痛みに耐え 痛みに耐え いつしか私は さほど痛みを感じなくなった
棘はずっと刺さったまんまだ
今や 棘は私のからだの一部である いや 私を私たらしめる徴(しるし)である
これからも 私は生き続ける 棘が私のなかに 息づいているかぎりは
そして 私の命の続くかぎり 私が私であるかぎり 棘はずっと刺さったまんまだ
<解説> 「棘はずっと刺さったまんまだ」は、「劇団pH-7」の役者でもある曽根攻による作品である。 彼は1966年山梨県の片田舎で生まれた。実兄が生まれついて「自閉症」という障害を持っていたことが、その後の彼に及ぼした影響ははかりしれない。 本人によれば、子どもの頃は「学級委員なども務める優等生タイプ」でありながら「内向的」で「自意識過剰な面も多分にあった」という。「兄の『障害』のことで周囲から好奇の目で見られたという経験は、強烈な記憶となって私のなかに残っている」「そうした『被差別体験』が、その後の人格形成において大きな影響があった」と語っている。職業選択にあたって彼は「福祉の仕事」を選んでいるが、そこでも「『障害』をもつ兄の存在」が深く関係していることがうかがえる。あるいは、彼が「演劇」などの表現にこだわろうとする姿勢は、幼き日の「被差別体験」が何らか関係したのではなかろうか。 少年時代の彼は、「親の愛には恵まれていたと思うが」「『障害』をもつ兄の存在をマイナスにしかとらえられなかった」という。特に、小学校高学年の頃の、彼に対する「いじめ」(兄の「障害」を嘲笑するという類の)はひどかったらしく、 大いに悩んだようだ。 それでも、彼は「『障害』をもって生きることの意味」について考えるうちに、 「兄の存在」を肯定的に考えられるようになってきた(だいぶ端折ったが、ここは説明すると非常に長くなる。というか語り尽くせない)。 上の詩では、表題でもある「棘はずっと刺さったまんまだ」という言葉が繰り返し出てくるが、詩の後半部に進むにつれ、その言葉のニュアンスが変化していくのが読みとれる。 もちろん、同じ詩であっても、人によって感じ方やイメージの持ち方に違いはあろう。また、曽根に言わせれば、この詩で表現しようとしたことは「『障害』ある兄」のことだけではない、と言うかも知れない。だが、彼の兄が「障害者」であったことを通じての体験が、この詩を生み出す原動力になったであろうことは、想像に難くない。
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