仕事が終わった。明日から夏休みだ。ロシアへ旅立つ日も近い。旅行準備はまだこれから。その前に実家のある山梨にも帰らなくちゃならない。通常の夏期休暇に有給休暇1日を加えて10日間の連休。でも、ロシアから戻った翌日からは、恐らく時差ボケの身でありながら仕事もスタート。まあ、それは覚悟の上。とにかく思いっきり羽根を伸ばしてこよう。
昨日の一人芝居について。自らも身体障害をもつ文化人類学者ロバート・F・マーフィー氏による著作『ボディ・サイレント』から着想を得て、それを一人芝居にしてみたのだが、結果的にはうまく表現できなかった。 今回「支配ー被支配の関係を、被支配の側から表現する」という課題が出されていた。「支配ー被支配の関係」はいろいろとあるが、私には「『障害者』をめぐる関係」を軸に考えることが求められているように思われた(手前勝手な思いこみにすぎないのだが)。その時ちょうど読んでいた本が『ボディ・サイレント』だったのだが、これが私には大変面白い本に思えた。人類学の専門書を芝居の題材にするのも面白そうだと思った。けれども、長期の休みを控え、職場の仕事も詰まっていた。なかなかうまく構成ができないままに時間ばかりが過ぎ、台本らしきものが出来上がったのが、一人芝居当日の昼(職場の昼休み時間に必死に仕上げた)。急ごしらえの台本をわずかな時間に覚えなくてはならないのだが、結局は覚えきれないまま本番に突入してしまった。本番ではすっかり浮き足立ってしまい、段取りを追うことにばかり気がいってしまい、演技に集中できなかった。 当然のことながら、厳しい意見もいただいた。演劇として演じられる以上、演劇として成立しているか、演劇として面白いかが問われるべきとの意見には、私も大いに賛成する。表現されたものが観客にどう届いたかが一番重要なのだ。その上でテーマがうまく表現されていたか、という順序であり、決してその逆ではないと思っている。 私の失敗は、いろいろと盛り込もうとするあまり、観客に何を伝えたいのか、あるいはメッセージをどのような方法で伝えるかという重要な点を見失ってしまい、ひとりよがりになってしまったということだろうと思う。いろいろと指摘していただいて、嬉しくはあった。でも、一方には悔しさもあった。 今回は「時期尚早」とは思いながらも、自らのライフワークにも大いに関わるテーマにあえて取り組んでみた。準備不足は最初からわかっていた。あるいは、もっと無難にまとめる方法はあったのかもしれない。でも、自分の追求したいテーマに取り組みたいという思いは強く、何とかモノにしたいとは思っていた。結局はうまくいかなかったし、大変悔しい思いをした。だが、このままでは終われないし、終わるつもりもない。ここから再び立ち上がって、もっともっと自分を鍛えていきたい。今回はもしかすると<再起>(大げさだが)に向けてのよい機会にはなったのかもしれない。 秋公演には、きっと一回りも二回りも大きくなって、舞台の上を翔けめぐっていることだろう。
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