夏撃波[暗黒武闘戦線・歌劇派]の独白

2002年08月02日(金) <関係性>について

 新アトリエの片付けもほぼ完了し、明日のアトリエ開きを待つのみとなった。
 となると今度は<一人芝居>が気になりだした。今回の<一人芝居>の課題は、「様々な関係性を想定し、被支配の側から表現する」というもの。
 日常の中で「支配ー被支配の関係」はあまりにありふれている。それは何も一対一の人間関係だけに限った話ではない。私たちは日々あらゆる社会関係に囲まれながらに生きている。
 私たちはそれぞれ健常者だったり、日本人だったり、黄色人種だったり、男だったりする。そして、ある「社会的地位」をもっている。それらが幾重にも絡み合って個々の人間関係を規定していく。例えば、日本人の私がマニラの雑踏を歩く時、周囲から「金持ちの日本人」として私のうえに視線が注がれる。私の意図とは無関係に、「第三世界の人々」にとって私は抑圧者となりえる。社会構造が個々の関係を規定していくのだ。もちろん、<個>としての私が存在しうる形がないわけではあるまい。とはいえ、<個>がさほどに確固たるものとも言い難い。その一方で、常に移ろいゆくのも人間ならば、それを取り巻く関係もまた移ろってゆく、とも言えよう。
 アメリカ社会において抑圧され続けた黒人が、ベトナム戦争の最前線において、最も残酷な「抑圧者」となり得た例は少なくあるまい。
 
  俺は死に絶えた町で生まれた
  生を受けてすぐにひどい仕打ちを食らい
  殴られてばかりの犬みたいにおどおどして
  人生の半分は逃げ腰で生きてる人間になっちまった

  俺はアメリカ合衆国で生まれた
  俺はアメリカ合衆国で生まれた

  地元でちょっとしたトラブルにまきこまれ
  軍隊に入隊させられ
  黄色人種を殺すために外地へ送られた

 ブルース・スプリングスティーンの80年代のヒット曲「Born in the U.S.A.」に登場するベトナム帰還兵は帰国後職もなく、アメリカ社会の「敗残者」として日々さまよっている。「抑圧される立場」にあった者がベトナム参戦とともに「抑圧者」の立場に立つが、アメリカ国内のベトナム反戦の流れに押され、帰国後再び「抑圧される」側に置かれることになる。
 世界じゅうのあらゆる場所で起こっている紛争は、皮肉にも人間の醜さを如実に表現していると言える。それと同時にごく日常的な場面においても、人々はあらゆる「権力関係」にとらわれながら生きている。だが、そのことは半ば忘却されている。
 人間の醜さを全否定するつもりはないが、自らの醜さに意識を研ぎ澄ませていきたいとは思う。聖者であろうとは思わない。美しく生きることは大変だ。しかし、人としてどうあるべきかは、人生通じてのテーマとなる。「人として」と言う時、そのことは当然自らの周りに張り巡らされた<関係>を問う、ということに他ならない。

  



 


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