| 2002年03月28日(木) |
曽根君は宮沢和史(THE BOOM)の親友か? |
「曽根君はブームの宮沢和史(ボーカルであり、バンドのリーダーでもある)の親友なの?」 ある人からそんなふうに聞かれたことがある。 皆さんはTHE BOOMというバンドをご存知だろうか。「島唄」「風になりたい」「帰ろうかな」等のヒット曲があるんだけど。彼らは山梨出身であり、そのうち宮沢さんは私の母校(甲府南高校)で、私の1学年上だった。関係としてはそれ以上でも以下でもない。そのことを誇張して他人に語ったこともない。ところが人から人に伝わるうちに話はねじ曲げられ、冒頭の質問を投げかけられるようになった。 向こう(宮沢さん)は恐らく私のことを知るまい。 でも、私のほうでは彼についての記憶がある。彼は、高校の学園祭でギター片手に松山千春の「青春」という歌を歌ったんだ。とにかくうまかった。でも、その彼が数年後メジャー・デビューを果たすことなど、その時は思いもよらなかったな。 もし、彼とあの頃何らかの接点を持てたとしたら、違った人生があったかも知れない。 甲府南高校ってとこは一応進学校ではあったけど、結構音楽好きな連中もいたもんだ。田舎の中学校出身の私からすれば、楽器できるヤツが多かったのには驚いたなあ。私自身は当時フォーク・ギターを持ち始めたばっかりで、何らかの曲が弾ける人間がまぶしく見えたものさ。 学園祭のこと、今でも思い出すけど、私には演劇発表の場でもあり(演劇部に所属してたからね)、音楽表現の機会でもあった。今日は音楽の話をしたいのだが。 クラス対抗で自作自演の音楽を競う合うイベントがあって、私は作詞とボーカルを担当することが多かったよ。あの時のタイトル、覚えてるよ。「白い黄昏」(歌詞を見た女の子に「曽根君、オフコース好きでしょ」って言われた)、「心の旅立ち」(チューリップ「心の旅」のパクリと言えなくもない)、「赤い傘」(後年友人から「ルビーの指輪」のパロディーみたいと指摘された)・・・。今から思い出しても楽しかったな。もちろん、あの頃はあの頃で悩みもあったけどね。 あの時の自分と今の自分との間に落差はあるかもしれないけれど、でもどちらも自分であることに違いない。これから私自身どう変わっていくのか、楽しみでもある。どこかにワクワクした気持ちを持ち続けたいと思う。それをひとことで言えば、夢、ということになるんだろうね。
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