| 2002年01月01日(火) |
ふるさとは遠きにありて想うもの |
2002年元旦から、この徒然日記を始めることにしよう。 今年の年明けを私は郷里の山梨で迎えた。甲府盆地の南に位置する片田舎に私は生まれ育った。四方を山に囲まれ、近くを笛吹川が流れる。南アルプスを遠くに望みながら、冬には八ヶ岳から吹き下ろされる「甲州からっ風」に随分と悩まされた。残念ながら私の家からは富士山を見ることはできない。山のかげに隠れてしまうのだ。 私が育った町は田舎の小さな町であったから、ほんのちょっとした噂話も瞬く間に広がってしまう。保守的というのか、封建的というのか、ある時期から私にとっては居心地の悪い場所となってしまった。多分あの町が変わったのではなく、私自身が変わったのだろう。 と言いながら私はほぼ毎年正月をふるさとで過ごす。そして、2、3日ほど過ごすと、そこから逃れるようにして名古屋に戻ってくるのだ。 ふるさとというものに対して相矛盾する二つの感情が入り乱れる。時に郷愁さえ覚えるあの場所。まるで揺りかごに揺られるように安らいだ気持ちを呼び起こしてくれそうな場所でもありながら、そんな私の願望はものの見事に打ち砕かれる。そんな時、毎度の事ながら私は室生犀星のあの詩を想い出すのだった。
ふるさとは遠きにありて想うもの そしてかなしく歌うもの かへるところにあるまじや
1966年(ビートルズ来日のこの年)5月24日(ボブ・ディランの誕生日でもあるこの日)、私は山梨で生まれた。「ひのえうま」。そして、三十余年ののち私は名古屋で生活を送っている。障害者施設で働くソーシャルワーカーという肩書を持ちながら、役者としての顔も持つ。自称「前衛音楽家」でもあり、「ノンジャンル芸術鑑賞家」「乱読家」「アウトドア愛好家」といった側面もある。三十代シングル、夢見るメルヘン中年である。自己紹介というのはなかなか厄介なものだなあ。わが姓名は「そね・おさむ」なり。どうぞお見知り置きを。 とりあえず本日はこれぎり。
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