日記王(ニッキング)
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日常を強く意識するのは非日常に陥った時であり、逆もまたしかる。日常においては非日常を求め、非日常に置いては日常を強く求める。事の大小や立場、あるいは正否に違いはあっても誰もが避けては通れない事には間違いがない。しかもそれらはある期間を過ぎてしまうと「慣れ」という名の下に逆転する。良きに付け悪しきに付け実に厄介である。 日常が逆転した時にそれに耐え、乗り越え、適応するにはかなりの力が要る。どのように日常を過ごしてきたかが重要なファクターを担うのだが、一般には豊富な人生経験がモノを言うらしく、社会に出た事もない野郎はお呼びでないようだ。そんな単純な事ではないだろうに。 ようは「素養を身につけているかどうか」で、方法は問われない。多く社会と接していても社会そのもの自体信用できるモノではないし、素養は多くの内省によって生まれると私は思う。以下に多く大きい振り幅にココロが耐えられるかが大事なのだ。 …てな事を、『コメットさん☆』見ながら考えてました。フィクション、しかもアニメーションというこれ以上ない非日常を通して描かれる日常がとても素晴らしい出来で、正直言葉が見当たらなかったりします。 日記だからという理由でまとまらない事の言い訳にするのではないですが、この大きなうねりが今後どう昇華されていくのか、自分を磨きながら考えていきたいです。
………『食人族』見ながら書く文でもなかろうにというツッコミは受け付けません。
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