駄目ままの戯言...まきまま

 

 

「大好き」という言葉 - 2002年05月27日(月)

最近になってたが時々口にする言葉、
「まま大好き」
この言葉を聞くととても複雑な気分になる。
喜ぶべきなんだろうけどね。

言われた私は、
「ありがとう」
とだけ答える。
本当はこれじゃいけない。
「たが好きだよ」
そう言わなければいけないのにね。
言えないのだ。
本気でそう思ってるとは言えないから。

物心がついてから今まで、両親を好きだった記憶がない。
普通良い思い出は記憶に残って、
嫌なことを忘れるようにできているらしいから、
楽しかった想い出くらい残っていても良さそうなのにね。
最初の記憶は2歳の頃に始まる。
嫌な思い出はいっぱいあても、楽しい思い出は少ない。
親との記憶で楽しい思い出は皆無。

私はものを忘れるのがどちらかと言えば得意。
忘れなければやってこれなかったから。
忘れたくても忘れられなかった記憶だけが残っていると
言っていいかもしれない。
逆に覚えていたい事はきちんと覚えている。
細部に至るまで。

両親といて楽しかったこと嬉しかったことの記憶がない。
それはつまり経験しなかったということ。
そしておそらく私は両親にたいして好きだと言う感情を
もてなかったのだろう。
幼い頃から付き纏う負の感覚。
それ以上を思い出してはいけないという恐怖
それが常に存在していた。

別に虐待を受けていたわけではない。
それは歳の離れた兄に聞いてもわかること。
それでも消えない負の感情。
もう殆ど本能的と言ってもいいくらいに。

おそらく私は両親に
「大好き」という言葉を言われていない。
今となっては確認する術もないけれど。

親に対して言ったことも言われたこともない言葉。
抱いたことのない感情。
それが私を戸惑わせるのだろう。
違和感を拭えない、だから言えない。

これがつんが言ったのであれば、
ためらわずに「つんが好きだよ」と答えるだろう。

おそらく私は、たに自分を重ねて見ている。
良くも悪くも私に似すぎているた。
それはつまり私の両親に似ているということ。

私は両親の強いところばかりを引き継いで生まれてきた。
良いところも悪いところも全て。
容姿、気質全てにおいて私は両親によく似ていると言われていた。
その私にそっくりなた。
それがたに対する私の態度と感情を硬化させる。

もちろんたは私ではないし、両親でもない。
それはわかっている。
それでも日々接する中で嫌でも、
封じたはずの記憶に触れてしまうのだ。
思い出したくない記憶に。

本来記憶にないはずの乳幼児期。
たを育てていくうちに、私がたにしているのと同じように
私は両親に接してこられたのが容易にわかってしまう。
母も働いて、歳の離れた兄がよく面倒を見ていてくれたらしいから、
今の私とは状況が異なる。
それでもたに接していると、浮かんでくる。
知らないはずの場面、親の顔が。
それが私を追いつめる。
たが私に似ているだけで。

他者からたが旦那に似ていると言われるとほっとする。
ああ自分に似ていないところがある。
それが救い。
たは私のようにはならない。

いずれ言わなければいけない言葉。
猶予はそれ程ないだろう。
それまでに私は気持ちの整理をつけなければならない。
たに「大好きだよ」と言うために。







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