カタルシス
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2002年06月27日(木)  神のことば 

「これちゃん『オイディプス王』観ない?」と友人からメールをもらったのが先週のことだった。『オイディプス王』とは渋谷で上演されている野村萬斎主演の舞台のタイトルだ。

その友人は他に大事な用事ができてしまって、行くはずだった舞台のチケットが余っているのだと言った。聞けば定価8500円のチケットだというから、そのまま捨ててしまうには確かに心が残ろう。私自身萬斎氏は好意的に観ている人だし舞台の評判もなかなか良いので 機会があるなら観てみたいな、とは思っていたが 何分チケット取りが難しく 更には既述の通りの高額。いまひとつ手が出てこない気持ちも解ってもらいたい。

「他に誰もいないんだよー。日にちもギリギリだし割引くから!」
滅多にない機会だし ちょっと高いけど行ってみようか… と迷っていたところだったので、このひと言に「行く!」とつられ返事をしてしまったことを どうか責めないで欲しい。
正直 有り難い申し出だった。

舞台は蜷川幸雄による個性的な演出がなされていた。ストーリーはギリシャ悲劇の傑作『オイディプス王』そのもの。実はその物語を詳しく知らなかったので、ほとんど予備知識のない状態で舞台を観ることになった。

これが!複雑な上に勿体つけた話で 途中からイライラしてきた。舞台そのものは良かったのだが、ストーリーの方に激しい抵抗感を覚えてしまった。

ソフォクレス作のオイディプス物語をご存知の方はお解りになるかと思うが、私にはあれが神のエゴに思えてならなかった。
「エゴ」だと「利己」と訳されるので 少々ニュアンスが違う気もするが、気まぐれで決めた「人の一生」を神託として本人に告げ、悩み抗うその姿を 天上から眺め、ほくそ笑んでいるような、そんな「神」の横柄な姿が浮かんで来てしまったのだ。

悪いことをしたから報復された。とか
過ちは償わなければならない。といった教訓とは別種の 不条理な悲劇。
どんなに頑張っても どんなに世のため人のために尽くそうとしても
おぞましい運命から逃れることはできない結末。 それは何故なのか、

神が告げたことだから。

理由はただその一点であり、それ以上でも以下でもないという強引さ。

オイディプスは生まれた時に告げられた「父を殺し母と交わる」という神託に悩み、その通りにならぬために自ら両親の元を離れ旅に出るのだ。そんな過ちを犯さぬために 遠くへ 遠くへ。
なのに悲劇は彼の身の上から離れなかった。

どんな想いも 努力も誠意も 何も変えられない現実にあるものなど、失望意外の何ものでもない。
この気持ち悪さが 解るだろうか?

そもそも「父を殺し母と交わる」って何の意味があるんだ???
訳が解らんじゃないかー!ただの意地悪にしか見えないのは私だけなのか?そのためにオイディプスの周囲がことごとく悲惨な目に遭うのも納得いかない。

おそらく「神」の絶対性を語りたい話なのだろうが、思い返せばギリシャ神話の神々は やたらと人間臭い者が多い。美しさに嫉妬して相手を醜い姿に変えてしまったり、天上からのぞき観た地上に気に入った女性や男性を見つけては無理矢理さらってきたり、露骨に酒池肉林を好んだり。
そんな人間臭い姿を描きながら 絶対性を語ろうとしても矛盾があるだろう。

そんな腑に落ちない部分を感じながらも 蜷川演出と萬斎氏の堂々たる姿は大したものだと素直に感心できた。ただ、本音を言わせてもらえば萬斎氏はギリシャ神話などではなく、能楽堂で狂言の舞台に立っている姿の方が魅力的だと思う。さすが、本業にしているだけのことはある。

冬が来たら、割と見やすい舞台を提供してくれる萬斎氏主宰の『ござるの座』に また行きたいものだ。なんて考えながら

悲劇の子オイディプスに別れを告げた。


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