カタルシス
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ジンギスファームという劇団の芝居を観て来た。 なかなか面白かった。 ここの芝居を観るのは2度目。どちらも友人に誘われてのことだが、元々嫌いな方ではないので毎回ホイホイ付いて行く。 TV番組の企画でチューヤンと一緒に旅をした『朋友』の伊藤高史くんが所属している劇団で、小規模ながら見応えのある演目をぶつけてくる。ミニシアター的な舞台は何度も観ているので規模の小ささには驚かないが、今でもTVドラマ等で名前のある役を演じている伊藤くんがいると思うと「この規模で本当に良いのか??」と疑問に感じるくらい小ぢんまりとした劇団だ。
それが悪いかと聞かれたら、私はむしろ好きと答える。 規模が小さく舞台がシンプルであればあるほど内容の善し悪しがモノを言うからだ。小細工や誤魔化しが利かない分脚本や演出の技量や役者の演技力が必要になる。 下手な映画や大舞台よりも見応えのあるものに出会えたりする。これがまた面白い。
結構好きで観に行く中に『劇団☆新感線』という劇団がある。これはかなり大所帯。主要な役者陣はここ数年不動だが、舞台や衣装・小道具は年々大掛かりになっており、人気も上がり続けている。個性的な役者も多く、最近ではお茶の間で見かける回数も増えてきた。 ここ何公演かはだいたい観てきたのだが、今回初めてチケットが取れなかった。理由は多分、イヤ、十中八九「客演」が原因だと思う。 今回の客演は上川隆也や沢口靖子を筆頭とするメジャーな面子がそろい踏み。告知を見た時嫌な予感がよぎったのが現実となった訳だ。
この際言ってしまうと、客演を呼んでいる時の方が脚本が練られていて完成度は高いことが多い。座長のいのうえひでのり氏が演出を手がける『いのうえ歌舞伎』と呼ばれる形式では脚本家の中島かずき氏がストーリーを描くのが定番で、この2人が新感線の骨子を担う黄金コンビである。この『いのうえ歌舞伎』の世界が一般にも役者側にも評価が高く、シリアスな物語のところどころに細かい笑いを絡ませるテクニックがこの劇団の得意とするところだ。 打って変わって、全く話の内容がない演目もこの劇団は披露する。度合い的にはシリアスな演目と交互に上演されるので半々と言っちゃあ半々だが、こちらは客演をあまり呼ばない。劇団内の役者のみのことが多い。もしくは客演は客演でもTV俳優ではなく、他の劇団の役者を加えてのコラボレーションとなる。生半可な役者ではおそらくぐちゃぐちゃになってしまうであろうアホ話を無理矢理まとめてしまうパワーがあり、毎回感心させられた。 で、これを見て感じるのは「劇団員だけの方が完成度が上がるのでは?」ということ。
呼吸が合うとか個性を活かすという点において、客演を呼ぶのはプラスとは考えにくい。客演に下手な役回りはさせられないから、結果的に主要な部分は客演に取られる形になる。もちろん実力派もいるが、人気先行タイプも客演は客演な訳で、要は話題取りの看板代わりなんだろう。や、良いんだけどね何だって。
例えば客演のある公演で新規の客を開拓しようとするのであれば、劇団員の魅力を知らしめなくては意味がない。その後ストーリー性のないアホ演目(決して馬鹿にしている訳じゃないの、面白いのよ本当に。でも、アホなんだよ…)ばかりしていたのでは力の半分しか見せられないと私は思う。たまには劇団員だけで『いのうえ歌舞伎』を演ってみてはどうか。毎回とは言わないから、時々は演って欲しいと思って止まない。多分…いや、絶対客演を呼んで演るより仕上りが良いハズだ!そのことで一般の新規客が開拓できなくても、劇団自体の人気が下がるとは思わない。むしろ上がると思う。
観た客が感動する舞台は必ず次の客を呼ぶ。感動すればまた観たいと思うし、誰かを連れて来ようと思うかも知れない。こうして得た客は本当の客だろう?私の考え方は違うんだろうか。 客演の俳優を見に来た客は俳優のファンで、次回の舞台にお目当てが出なければ来ない客かも知れない。劇団が活動しているのと同じように、俳優の方も活動をしている訳だから、ファンならそっちを優先するだろう。 また、有名どころが出ているならば…と興味半分に訪れた客も、客演の陰に隠れた団員の魅力に気づくのはほんのわずかなように思う。
私も、以前の舞台のビデオを観ていなければ、そちら側の人間だったかも知れないから思うのだ。 私は客演を呼ばずに『いのうえ歌舞伎』を演っていた頃のビデオを友人に借りて観てハマったクチだ。同じ演目を客演主演で観たことがあった。一度観て物語は知っていたが、とても良く出来た話だったので、生の舞台で観られるのを楽しみにしていた。さぞや感動ものなんだろうと思いきや、実際は全然もの足りなかった。 まず、脚本が変わっていた。再演なので2度目の人も楽しめるようにとの計らいだったのだろうが、初演の形が完成形だったのにいらぬ手を加えたように見えた。正直いって良くなかった。 次に主演の俳優がパッとしなかった。演技は上手いと思った。でも、キャラが違う。何か思った感じで演じてなかった。これだけ上手いのに何でこんなに違和感を感じるんだろう?と自分で不思議に思ったくらいだ。役にクセがあり過ぎて消化し切れていなかったのかも知れない。もっとヘタでもキャラを合わせた人選にするべきだったんだろうか?
そんな舞台でも連日満員御礼だった訳。これってどうなんだ?
正直私はガッカリした。客演主演はもういらない、とさえ思った。でも、『いのうえ歌舞伎』には魅力を感じている。話題や人気取りの為に美味しい筋書きを無駄遣いしているようで勿体ない。そしてアホ演目ばかりに劇団オールスターをつかうのも役者の無駄遣いのような気がする。 全然するなとは言わないけれど、もう少しバランス考えたらどうなんだろうと単純に思う。 経営や付き合い等の事情なんて知らないから勝手を述べているが、同じことを考えている人は少なくないと思う。いるよ絶対。
ダラダラ綴ったところで 話を元に戻す。 適度な規模というのがあると思うのだ。適度な速度で、適度な人員で、削れる部分を削り、盛り込みたい部分には惜しみなく盛り込める体勢が理想だろう。 そんな意味で『ジンギスファーム』はバランスの良い劇団でいると思った。役者個々の経歴を見ると、結構TVに出ていたりする。でも、こぢんまりとした舞台に立ち、簡略化された舞台セットの中で色々な風景を見せてくれる。 どう始まってどう終わるのか解らない凝った筋書きが充分に間を持たせる。観る方もちょっぴり頭を使って観るから心地良い刺激になる。 ああ、見た目の派手さや規模じゃないな。と素直に思える。
必死の思いで取った安くもないチケットで、大きなホールの隅の席からTV俳優主演で脚本がイマイチな舞台を観るよりも 何倍も有意義だと思うぞ。 去年年末に観た小さな小さな劇団の舞台、全然期待しないで行ったのにものすごく良くデキていてビックリした事は記憶に新しい。演目が気に入ればまた観に行きたいと思った。何気に活動チェックしているし、ファンの構築ってこういうものだと思う。小手先のまやかしで得たものは一時のまほろばでしかなく、実態を得るには実態で攻めなければイカンと。
何だって同じだぞ。 テンション低ければ低いだけ 盛り上がらないし 手を抜いたら抜いた分 何か失くす。 楽しんでいれば伝わるし 一生懸命や真面目は解る。 発信は受信の跳ね返り 鏡なんだから。 パッと見の印象も大事だけど、そればっかじゃ何にもならないんだなってことかな。
とか何とか書いてみたけど、新感線のチケが取れなかったことに対する 鬱憤晴らしなの バレバレ〜(笑)
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