2006年01月13日(金) |
シナリオ形式の小説? |
最近、小説と称しているシナリオ形式の作品を見ました。
○○子「だから、こうこうこうなのよ」 ××子「まあ、そんだったの」 ●●子、登場。○○子をひっぱたく。 ○○子「な、何するのよ!」 ●●子「あなたって人は!」 ××子、○○子をかばうようにして立ち、 ××子「あっちいきないさよ」
みたいな書き方で話が進んで行きます。 正直、あまり面白みを感じません。(^ー^; でも、意外とこの書き方をしている若い人が多いのかな? などとちょっと思いました。 というのも、検索サイトに『シナリオ形式は登録不可』と書いてあるところが多いからです。 ということは、そういう作品が多いということなのだな……と思うわけです。
書いている人が多いということは、読んで味わっている人も多い? ……とは、私にはどうも思えないんですよね。 これが、二次創作などでキャラや舞台、アクション・衣装に至るまで、共通の認識が出来ているならば別ですが、これだけの文章で世界を表現するには、かなり無理があると思います。 所詮は自己満足のみの創作に終わってしまう可能性が高い気がします。 もちろん、趣味で書いているのですから、独りよがりでもなんでもいいのですが。
シナリオは、いわばプロットやあらすじ、ネームのような準備段階の形式に過ぎないと思います。 つまり、舞台や映画、小説、漫画の土台となるものです。 作家の頭の中にはイメージが出来ていて、次から次へと物語りが広がって行くけれど、役者も舞台装置もない状態では、読者に訴える物が足りなすぎるのではないかな? と。 単独では勝負できない作品であり、それを元にして完成品になるものではないかな? ……というのは、私の思い込みかもしれませんが。
完成品ドラマや映画のシナリオは、ファンにも価値あるものだと思いますが、未完成状態のシナリオだけでは、なかなか作品の面白さを判断するのは、普通の読者には難しい??
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と書いたところ、何人かの方に「シナリオ蔑視?」ととられてしまったようです。 詳しくはブログ『言葉の日記』に書いたのですが、シェークスピアなどの名作は当然知っていますが、そこまで広義の意味でシナリオという言葉を用いたわけではないこと、シナリオ単独で表現を目指す分野を知らなかったこと、で、誤解させてしまって申し訳ありません。 ここでは、その分野の戯曲は全く抜きで話しています。
上記は、あくまでもシナリオ形式で書くのってどうなのでしょう? ものすごく難しいのではないでしょうか? ということです。 つまり、小説ですと宣言している『シナリオ形式』の作品のことについて、お話しています。 画像も舞台も映像もないうえに、ト書きと台詞しか用いれないという制約がついちゃいます。 もちろん、文豪が書くならば違うかもしれませんが。(^ー^;
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