今日も雪です。(−−) 今ははれてお日様が照っていますが、窓から見える東の空は暗く、しかも山も見えない状態なので、これからふぶくのでしょう。 おお、嫌だ。 なーんか、これで赤いものがピカピカゴロゴロだったら、LOTRの世界だなぁ。(^0^;
最近、方言の話題で盛り上がっています。 楽しいですねぇ。お国言葉の違いを語り合うのは。
とはいえ、方言を大事にしよう……って動きは、昔は少数意見だったと思います。 出来るだけ共通語で正しい日本語を身に付けることが重要だと思われていたと思います。 特に接客業・営業関係だと、あまり感じがよくないですよね。 だから、私も出来るだけ標準語を話すように、親から言われていたような気がします。 地方の言葉しかしゃべれなかったら、今風にいうグローバルな人間になれないって感覚でしょうね。 確かに、それもその通りだと思います。
でも、言葉は地方や世代によって変遷を遂げてゆくのが当たり前だし、文化を伝えるものでもあると思うのです。 あと、文字だけじゃないですね。音とか、アクセントとか、音楽的要因が言葉にはあるので、そう簡単に地方色は消せませんよ。 まぁ、それでいいじゃないですか! と思います。 方言も、表現として音や響きを味わうと、標準語にはない雰囲気がでますよね。
たとえば。『しばれる』 これって、本当に寒そうに聞こえませんが? 氷がキュンと締まるような、音を感じるんですよ。 寒いとか、いてつくとか、じゃ、雰囲気でないです。
あと『嫌です』のような拒絶の言葉。 なぜか、関西弁でいうと、どこか温かい響きになって、あとくされなく聞こえるらしいです。 だから、比較的関西の人のジョークはきつくても笑いが取れるのかも?
ちょっと話が飛躍しますが。
そういえば昔。 エスペラント語っていうのが教科書にありました。 言葉さえ世界共通であれば、人間はもっと平和になれる……って思想で作られた言葉だったと思います。 しかし、その精神は賛辞されたけれど、言葉はそれほど根付かず、英語がグローヴァルな言葉になりつつあるようです。 なぜだろう? まぁ、勉強して身に付けるのが大変だから、とかあるでしょうが、縦の継承がなされていないからなのかな? と思います。 世界共通の言葉があれば、おそらく地方地方でやはり方言が出来てきたり、独特な言い回しが出来たりして、やはり通じなくなってくるかも知れません。 それが、人間の本質なのでしょう。 祖先が積み上げてきた文化や歴史を無視しては、やはり平和は成り立たないのかも知れません。
自分達のお国言葉を守ることは究極の文化保持であり、他の地方のお国言葉を知ることは、究極の文化交流じゃないのかな? などと思います。
私の場合、アクセントは北海道なまりらしいのですが、自分では標準語を話していると思い込んでいます。(^0^; つまり、標準語を知っていないのかも? 日本語もよくわかっていない私ですが、言葉は脳ミソが許す限り、色々知りたいですね。
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