最近、いろいろぐだぐだ書いていますが、思いつきのまま書いているので、気が変わることもありますが……。
小説作法について。です。
えっと、あまりこだわっていません。こだわっていませんが、とある人から指摘を受けて以来、いくつか訂正を施したことがあります。 また、作法と違うかき方をしている人には、とりあえずアドバイスしています。余計なおせっかいかもしれませんが、知っていてやっているのと、知らずにやっているのでは違いますから。
今回の作法の話題は、顔文字・(笑)(怒)など・★・♪などの使用についてです。あと、フォントなど。 これって、やって悪いっていう決まりはないと思うのですよ。 とはいえ、……とか!や? の後の一マス空けとか、それも、決まりといえば決まりだけど、どこで決めたものやら???? というところがあります。 私が小学校の時に習った作法では「なになになに。」と「」で括られた文章であっても句点が必要でした。 このような作法は、「世につれ」なのかも知れません。 ですから、今後は多用されるようになる可能性もあるわけです。
とはいえ、私は全然好みじゃないんですよね。 まず、顔文字がチラッとでも見えたとたん、その作品は読まないです。 なんだか、話がよくても面白くても、それだけで興ざめしてしまうんですよ。強く勧められもきっと読まない。
だからと言って悪いのか? と言えば、わからないんですよね。 そういう文字を好んで読む人がいるからこそ、顔文字ありの作品も存在するわけで。 だから、これは一種の【見た目での囲い】かなぁ? と思ったりもします。 つまり、顔文字を書いている作品は 「おそらくあなたの好みの作品ではありませんよ」 と、宣言してくれているようなものです。 逆に、いかにも重厚な文章を書く人も同じように 「ライトな作品ではありませんよ」 と宣言しているかなぁと。 まぁ、顔文字のほうが一発でわかりますから、標識としては優秀だと思われます。
文章にも第一印象って、とても大切だと思うんです。 パンクファッションしている少年が、実はクラッシクが好きでパンクは嫌いと言っても、誰も信じてくれませんよね? 「つきあって俺を知ってくれたら、それがわかるから」 などと言われても、ついあとずさりするのが、普通の人だと思うのです。
自分と同じ感覚の人に喜んでもらいたいならば、それもひとつの方法かもしれません。 顔文字や★などは、ある種の柵となって、一部の人の侵入を拒みます。 もしも、多くの人に読まれたいなら、作法と言われていることを破って自分の味を出す必要性を、もう一度考えてみる必要があると感じます。
……と、えらそうなことを言ってみても、実は顔文字だらけの文章が読解できないだけかもしれません。(^0^;
|