本日の感想文。

2003年08月24日(日) にわとりを殺す

テレビで……
鷹がニワトリを殺すシーンが映し出された。
映像でよくある、ありふれた光景。
私は、別に何も思うことなく平然と見ることができる。
そりゃ、当然。猛禽類は肉食だもの。

でも、ありふれていないのは、その横で小学生らしき子供たちが、その様子を呆然と見ていること。
映像に映し出された子供の顔は、瞬きもせず、張り付いたような顔で、口元がかすかに開いている。全員が皆、同じ顔、同じ姿勢で、ただ立ち尽くしている。
鷹がニワトリの肉を引き裂き、雪を血に染めるところを、じっと見ている。
引き裂かれて死んでゆくニワトリを、見せられている。

私の中で、何かがきしんだ。

なんと残酷な映像なのだろうと思った。
時間がなかったので、このドキュメンタリーらしき番組を、私は最初から最後まで見たわけではない。
ほんの5分ほど、そのシーンを見ただけだ。
だから、番組を作った人、登場している人の意図はわからない。批難するつもりは毛頭ない。
ただ、純粋に、不快に感じる映像を見てしまった……と、私は感じたのだ。
あの子供たちの、あの顔を見たくはなかった。

――何を感じた?
自然の姿をまのあたりにして。
――怖かったけれど、僕たちも肉を食べたりするから……これが自然の厳しさなのかなぁ……と。
たどたどしい答え。明らかに動揺しているのがわかる。
――ニワトリが……かわいそうだと思った。
小さな女の子の答えだ。
――でもね、これが自然の、ありのままの姿だよ。

チャンネルを変えた。


私には子供がいない。
子供のために何を教えたらいいのか、考えたことがない。
自然のありのまま、弱肉強食、食物連鎖……真実を教えることは、大切かもしれない。
でも。
――ニワトリがかわいそうだと思った。
これは人間ならば当然思うことだろう。
でもね……と、否定していいものだろうか?

所詮、いずれは。
社会生活を送っていくと、かわいそうだけでは何もならない状況にはたくさん出会う。
ニワトリどころか、人の生死、裏切り、愛憎……たくさんの修羅場を見ることになる。
感受性は麻痺していく。
残酷さ、怒り、悲しみ、楽しいこと、うれしいこと、子供よりも大人は慣れて平気になっていく。

まだ若い傷つきやすいその時期に、別にありのままを教えなくてもかまわないような気になった。
真実を知るよりも、死にいく命を哀れんだり、肉を引き裂かれ血を流す行為を嫌悪したり、素直に感じた通りでいいのではないだろうか?
いや、できたらそんなシーンは見せたくない。

R指定が時々論議になると、私の場合、考え方はころころかわる。
大人が見てもいいものを、子供はダメだとするのはおかしい……といわれれば、そうだよな。
いや、教育上よろしくない……といわれれば、そうだよな。と。
でも、今日ばかりは後者の意見に肩入れしそうだ。

あんな子供のうつろな表情は、やはり見たくはない。
たとえ真実であっても、子供は知らなくてもいいことがあるのだ。
たとえ真実でなくても、子供はサンタクロースを信じていい。
大人の酒は救いになっても、子供の酒は致死量にいたることもある。

子供の頃に受けた精神的な傷は、ちょっとやそっとでは癒されない。
子供の頃のサンタの思い出は、たとえ虚実でも幸せな気持ちにさせてくれる。
でも、引き裂かれたニワトリの思い出は、たとえ真実でも楽しくは思い出せないだろう。


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