テレビで…… 鷹がニワトリを殺すシーンが映し出された。 映像でよくある、ありふれた光景。 私は、別に何も思うことなく平然と見ることができる。 そりゃ、当然。猛禽類は肉食だもの。
でも、ありふれていないのは、その横で小学生らしき子供たちが、その様子を呆然と見ていること。 映像に映し出された子供の顔は、瞬きもせず、張り付いたような顔で、口元がかすかに開いている。全員が皆、同じ顔、同じ姿勢で、ただ立ち尽くしている。 鷹がニワトリの肉を引き裂き、雪を血に染めるところを、じっと見ている。 引き裂かれて死んでゆくニワトリを、見せられている。
私の中で、何かがきしんだ。
なんと残酷な映像なのだろうと思った。 時間がなかったので、このドキュメンタリーらしき番組を、私は最初から最後まで見たわけではない。 ほんの5分ほど、そのシーンを見ただけだ。 だから、番組を作った人、登場している人の意図はわからない。批難するつもりは毛頭ない。 ただ、純粋に、不快に感じる映像を見てしまった……と、私は感じたのだ。 あの子供たちの、あの顔を見たくはなかった。
――何を感じた? 自然の姿をまのあたりにして。 ――怖かったけれど、僕たちも肉を食べたりするから……これが自然の厳しさなのかなぁ……と。 たどたどしい答え。明らかに動揺しているのがわかる。 ――ニワトリが……かわいそうだと思った。 小さな女の子の答えだ。 ――でもね、これが自然の、ありのままの姿だよ。
チャンネルを変えた。
私には子供がいない。 子供のために何を教えたらいいのか、考えたことがない。 自然のありのまま、弱肉強食、食物連鎖……真実を教えることは、大切かもしれない。 でも。 ――ニワトリがかわいそうだと思った。 これは人間ならば当然思うことだろう。 でもね……と、否定していいものだろうか?
所詮、いずれは。 社会生活を送っていくと、かわいそうだけでは何もならない状況にはたくさん出会う。 ニワトリどころか、人の生死、裏切り、愛憎……たくさんの修羅場を見ることになる。 感受性は麻痺していく。 残酷さ、怒り、悲しみ、楽しいこと、うれしいこと、子供よりも大人は慣れて平気になっていく。
まだ若い傷つきやすいその時期に、別にありのままを教えなくてもかまわないような気になった。 真実を知るよりも、死にいく命を哀れんだり、肉を引き裂かれ血を流す行為を嫌悪したり、素直に感じた通りでいいのではないだろうか? いや、できたらそんなシーンは見せたくない。
R指定が時々論議になると、私の場合、考え方はころころかわる。 大人が見てもいいものを、子供はダメだとするのはおかしい……といわれれば、そうだよな。 いや、教育上よろしくない……といわれれば、そうだよな。と。 でも、今日ばかりは後者の意見に肩入れしそうだ。
あんな子供のうつろな表情は、やはり見たくはない。 たとえ真実であっても、子供は知らなくてもいいことがあるのだ。 たとえ真実でなくても、子供はサンタクロースを信じていい。 大人の酒は救いになっても、子供の酒は致死量にいたることもある。
子供の頃に受けた精神的な傷は、ちょっとやそっとでは癒されない。 子供の頃のサンタの思い出は、たとえ虚実でも幸せな気持ちにさせてくれる。 でも、引き裂かれたニワトリの思い出は、たとえ真実でも楽しくは思い出せないだろう。
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