ここんところ読んだ本。
・田辺聖子の今昔物語 田辺聖子
・ジーキル博士とハイド氏 スティーブンソン
・エレンディラ G.ガルシア・マルケス
約1週間でコレだ。確実に読書の秋満喫。
エレンディラ、思ったよりエロ文学でなかった(何を求めて読んだのだ、お前は)訳者あとがきがおもしろかったなぁ。
田辺氏の今昔物語は阿刀田氏より、やんわりとした表現で趣深いです。古文もっと勉強しておけばなぁ、と古語辞典引っ張りながら読んだ。
ジーキル博士とハイド氏は、こんな話だったか?と。映画で見たからちと印象が違った。おどろおどろしいのは共通してましたが。切り裂きジャックといい、ロンドンは暗黒街ですな。
そんでもって先日、図書館の児童書コーナーで、素敵な神々の百科を発見。
借りてこようと決めました。
…ケルト神話にアーサー王伝説、南米ケツァルコアトルまで。あぁぁぁ、興味が湧く!!
無神論者などではなく、むしろ、多神の存在を信じすぎて、崇め諂う状態ではない私。むしろ、喰いモノにしているような節が…(仏に関しては特に)
世界に広がるいろんな民族の中に根付いた宗教、いろんな神様がいてもいいと思います。楽しいではないですか。完全無欠、唯一無二の絶対神も良いですが、その信仰の影に潜むは畏怖だったりしませんかね。誰だって絶対王政には不満持ちませんか(それとは違うか?)
それよりだったら、いっそのこと、たまには間違ったり失敗したりする人間味いっぱいの神様達に親近感を感じつつ、それでいて、敬意を払う多神教の信仰の形が私は好きざんす。
戦争までも、神の名に置いてやられたら、神様のたまったもんじゃなかろうて。そこまで面倒見切れる神様ならば、本物の絶対神だろうけど。……なんてこっそり世論批評。
でも、それはやっぱりイスラム教を知らないからなのでしょうなぁ。
アラーなんて、ちびまるこちゃん(某天使隊長に非ず)でよく「アラーの神の思し召し」とかいう台詞を聞いて知っていただけだし。
基督教と違って、布教活動公にしてないのかねぇ。
日本のような農耕民族(しかも外地からの侵略の驚異がない立地条件)にはそぐわない教えなのでしょうか。
気になったので、今度調べよう。
というか、基督もアラーもユダヤの神も、同一人物…いや神なのに。
なんでこうも(字の如く)三者三様なのでしょうか。
それは、きっと信仰する民族の違いからでありましょう。
あぁ、やっぱり民族あっての宗教でんがな。
そんでもって、大和民族でよかったと思う今日この頃。
何がって?
今、タイ旅行の写真編集していまして、仏像見て思ったんです。
金ぴか仏像も良いけれど、やっぱり日本の奥ゆかしい仏像の方が見てて安心するなぁ、と。
金ぴかなの見ると、爪立てたくなって…そりゃ、欲ですな、欲(笑)
ま、結局「慣れ」なんでしょうけど、日本の文化に慣れることが、ちぃとも嫌じゃない事を実感しましたとさ。