日記擬。...松本

 

 


クローン猫の日記。 - 2002年02月17日(日)


わりによく出入りさせてもらっているサイトさんで、二ケ所同時に「クローン猫」というタイトルの日記が書かれていた。
どちらも趣味繋がりの人のところで、場所の雰囲気やネタについても多少似たような性格が見受けられたりもしてはいたものの、双方まったく繋がりは無いところ。しかも、片方はこれではじめて「そうか、猫好きやったんか」とか知ったくらいにして(笑)。
内容で言うと、双方結論というところまでは書いていないまでも、ある程度のスタンスは見えるぐらいといった辺り。
わりに否定的なのと、中立的に距離を置いたようなのとに分かれてたようですが、このへん、実際に飼っている人とそういうわけにもいかなかった人との差なんかもあるのかなと思いつつ。
ともあれ、それだけ、ある種の人にとっては反応をひきおこす要素のある事柄だったんだろうな、ってことで。

ひるがえって、じゃあ自分はどう思うのか。
えー、大抵のものごとには、善悪両方の面があるわけで……現時点でどうこう言えるほどには、知識も考えも深まっていないってのが正直なところですが。
強いて言うなら、積極的に賛成はしたくない、ってとこですか。 <逃げてる逃げてる

とりあえず、そうやって生み出された生命それ自体には、良い悪いなんてものは無くひとつの存在なんだとは思います。んが、だからといって安直に人が期待する利益だけが享受できるとは、どうも思えないわけで。
わりに良く聞く話として、亡くなったペットのクローンを、なんて話も。
これはホント、どうなんすか。
遺伝情報自体が同じでも、姿形まで別物ってこともあるそうですし。現実にそうなったとき、希望に沿わない存在になったからといって否定されてしまうことだって、無いとは言えないわけで。
非常に情の無い言い方になるかもしれませんが、終えてしまった生命は生命として納得すべきなんじゃないかと。てか、心情はわからなくもないが、だからって代わりにクローンをってんじゃ、どっちに対しても失礼なんじゃないかという考えもあるわけで。
――って、じゃあ家畜としての需要とかはどうなんだとか、そうして色々話をひろげてしまうと、線の引き方とかなんやかんやでわけわかめになるのでアレですが。

ちなみに、クローンを扱ったフィクション作品ってのも、それはもう数多あるわけですが。
個人的にぱっと思い浮かぶのは、どっちもマンガになるけど“空の帝国”と、“記憶鮮明”のふたつ。
描かれた年代とか作品の雰囲気には差があるわりに、話の落としどころは案外近かったような気もします。ついでに、両者ともある映画にインスパイアされて云々とかいうトークもあったりしましたが、そのへんはさすがにチェックできてません(爆)。
また、どっちもタイトルの付け方とか巧いし。年数を経てもこうしてアタマに残っている辺り、それがある種のキーワード化してるとこもあるんでしょう。
なかでも好きだなぁってのが、前者の最終章である“らせんの花”。
これは響きといい含んでいる意味といい、自分が見てきたいろんな作品の中でも相当上位に位置してると思います(ところでこれ、英語とかにしたらどういう言葉になるのかなとかいうのが長年の疑問。だれか訳してくれ/笑)。
そして両者とも、おそらく自分の考え方にも大きく影響しているであろうことも確実(笑)。
あとは何かあったか。多分読んでいるはずながら、ちと出てきませんが。
新井素子先生の“今はもういないあたしへ……”とか、それが主軸になってるわけじゃないけどFSSとか(だいぶ違うよそれ)?

そんな感じでひとつの物語として読んだりとか、単に情報として、あるいは知識として「それがどういうものなのか」というデータに対しては、けっこう興味深い事柄と感じてしまう辺り、また業が深いっつーか考えなしっつーか(苦笑)。



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