鶴は千年、生活下手

2016年10月31日(月) 誕生日

誕生日がきて、57歳になった。
母が亡くなったのは57歳だった。
誕生日は親に感謝する日と聞いたことがあるが、まさにその通り。
生んでくれてありがとうと思う日。

生んでくれてありがとうと思えるのは、今現在がしあわせだと感
じているからであろう。
どうして生まれてきたんだろう、とか、どうしてこんな親の元に
生まれたんだろう、とか、そういうことを考える時期は若い頃に
は確かにあった。
しかしながら、夫と出会って、二人で暮らすようになってからは、
次第に自分を認めることができて、自分を認められるようになる
と幸福感は増すのである。

思春期、自己否定の感情に覆い尽くされることは多々ある。
だれもがコンプレックスの固まりになっている時期だと思う。
そこに、もしいじめでも加わろうものなら、自分の存在を否定さ
れていると感じるだろう。
幸い、わたしはいじめられることはなかったが、コンプレックス
は強く、美しくない分いろんな面で強くあろうと思っていた。
学業も、腕っ節もである。
中3になるときに転校したときには、転校先には不良もいるぞと
先生に言われたが、別に敵対することもなく、こちらが普通につ
きあっていれば、特段にらまれるようなこともなく、成績の良い
ものには手を出さない方々だったので、何もなかった。
授業中に騒いだりすることもなく、平和な学校生活だった。

高校生になると、学業で強くあり続けることが困難になり、自分
の居場所を見失いそうになっていた。
ただ、他校の友だちとの関わりの中で、かろうじて従来の自分の
姿を維持できていたのではないかと思う。
開き直るまで時間がかかったが、挫折もまた良しと思えるように
変わることができた。

みんなコンプレックスをかかえながら、何かと戦ったり折り合い
を付けたりして大人になっていく。
それを見守ってくれたのが、母であり姉であり、そのバトンを受
け取ってくれたのが夫ということになるのだろう。


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市屋千鶴 [MAIL]