誕生日がきて、57歳になった。 母が亡くなったのは57歳だった。 誕生日は親に感謝する日と聞いたことがあるが、まさにその通り。 生んでくれてありがとうと思う日。
生んでくれてありがとうと思えるのは、今現在がしあわせだと感 じているからであろう。 どうして生まれてきたんだろう、とか、どうしてこんな親の元に 生まれたんだろう、とか、そういうことを考える時期は若い頃に は確かにあった。 しかしながら、夫と出会って、二人で暮らすようになってからは、 次第に自分を認めることができて、自分を認められるようになる と幸福感は増すのである。
思春期、自己否定の感情に覆い尽くされることは多々ある。 だれもがコンプレックスの固まりになっている時期だと思う。 そこに、もしいじめでも加わろうものなら、自分の存在を否定さ れていると感じるだろう。 幸い、わたしはいじめられることはなかったが、コンプレックス は強く、美しくない分いろんな面で強くあろうと思っていた。 学業も、腕っ節もである。 中3になるときに転校したときには、転校先には不良もいるぞと 先生に言われたが、別に敵対することもなく、こちらが普通につ きあっていれば、特段にらまれるようなこともなく、成績の良い ものには手を出さない方々だったので、何もなかった。 授業中に騒いだりすることもなく、平和な学校生活だった。
高校生になると、学業で強くあり続けることが困難になり、自分 の居場所を見失いそうになっていた。 ただ、他校の友だちとの関わりの中で、かろうじて従来の自分の 姿を維持できていたのではないかと思う。 開き直るまで時間がかかったが、挫折もまた良しと思えるように 変わることができた。
みんなコンプレックスをかかえながら、何かと戦ったり折り合い を付けたりして大人になっていく。 それを見守ってくれたのが、母であり姉であり、そのバトンを受 け取ってくれたのが夫ということになるのだろう。
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