息子に、今月で母は56歳になると言うと、ため息をつかれた。 母が歳をとっていくことに、少なからず不安があるのだろう。
春と秋の一大イベントである、運動会と修学旅行が終わり、一息 つきたい所だが、6年生は今度は連合運動会の練習に励んでいる。 それが終わると、今年は小学校の50周年の記念式典があるので、 おそらくその際の発表会のようなものの準備と、支援級には合同 学芸会の準備もある。 今は、連合運動会に向け、6年の体育はその練習の日々。 支援級に戻ればダンスの練習だったりする。 一年中、何かの練習をしているのが小学生というものなのだろう。
9月のぷらむ短歌会は諸事情があって欠席した。 お題は「跳ぶ」だったが、題詠で4首を送った。 次回、11月のお題は「鍵」。 鍵という言葉も、ありふれた使い方になってしまいがちなので、 案外と作りづらいかもしれない。 ぷらむ短歌会の方が精力的に、短歌の応募をしておられて、感心 するばかりだ。 わたしには、まとめて30首とか期間を決めて作れる気がしない。 すっかり数が作れなくなってきているなと思う。
普段の暮らしの中から、しっかりと題材を見つけて作歌できるの は、感性の問題かもしれないと最近思う。 自分自身の中になにがしかの引っかかりがある時には、自分の歌 がその引っかかりにからんで浮んでくるものだが、そうすると、 この人の短歌ってこういう感じなんだねということになり、それ もどうかと思う。 引っかかりが無くなったら無くなったで、今度はピンと来るもの がつかめなくなってくる。 透析中に短歌が作れると期待していたものだが、ある程度の年数 が経ってしまうと、テレビを見ているか寝ているかということに なってしまうものだ。 考え事はしないようになっているのかもしれない。 ハッとするようなことがあった時、それを作歌につなげる発見と するか、日々の暮らしの中の気づきととらえるかで、短歌に向か うか生活の中にだけ結びつくかが決まる気がする。 最近は、生活の中に結びつけること多く、作歌に結びつかない。
夜は早く寝てしまう分、録画している番組を日中に見るので、そ の分だけテレビばかり見ているような感じだし。 基本的に、わたしはテレビっ子なのだろう。
|