鶴は千年、生活下手

2011年11月02日(水) しあわせは

この幸せはいつまで続くのかと、ふと不安になる瞬間が有る。
それは息子の寝顔を眺めているときであったり、夫と息子が遊ん
でいるのを眺めていたりする瞬間。

大病を煩った人が必ずと言っていいほど思うこと。
死を意識して、一日一日を大切に生きていかねばと思ったという
こと。

では、一日一日をかけがえの無い一日として生きるということは
どういうことなのか。
明日が無いと思って、欲張りに生きることなのか。
否、明日がくることを信じながらも、今日できることは今日のう
ちにやっておくということか。

もし今、あと何年ですとか、何ヶ月ですとか宣告されたら、まず
やっておかなくてはならないことや、やっておきたいことを書き
出して一つずつかたづけていくだろう。

しかし、そういう期限を設けないまでも、通常の人よりもいつで
も死の危険は近いのですよと言われている立場だとしたら、どう
だろうか。
死の危険は誰にだってある。
明日事故に有って死んでしまうかもしれない。
しかし、普通の人はそれを意識しないで生きていられる。
透析患者であるということは、いろんなリスクが高いので危険度
は意識しないでいられるレベルではないのかもしれない。
が、意識しているからといって、毎日びくびく暮らしているので
はないわけで、おもしろおかしく暮らしているのが大半である。
そんななかで、ふと今の幸せの終わりの瞬間が脳裏をよぎる時が
あったりもするわけで、冒頭の文になるわけだ。

我が子がちゃんと成長するまでは、なんとしても生き延びなくて
はという思いと、もしものときのために何をしておくべきかとい
う焦りにも似た感情と、ないまぜになって眠りにつく夜。
目覚めれば深夜ということが普通になっているが、そこからまた
眠りに入るまでの不安。
なんだか怖くて、1人で昼寝ができなくなってきている現実。

いろんな不安を吹き飛ばして朝が来る。
幸せはいつまで続くかはわからないが、毎朝やってくることだけ
は確実である。

 しあわせはいつまで続くものなのか橋をわたって振りかえらない(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]