久しぶりに、といっても2週間ぶりくらいに、もぐちゃんを教室 まで送った。 教室には、昨年からの先生2人と今年からの若い男性教師がいた。 昨年からの先生のうち、男性教師の方は今年も情緒障害組の担当 で、押された子の担当である。 もう1人の女性教師は、昨年もぐちゃんの担当をしてくれた先生。 2人に丁重に頭を下げてきた。 男性教師にはこれからまだまだ世話になることを、女性教師には 1年生のときにいろいろと心配してくれていたことが、こうして 現実になってしまったことへの申し訳なさを。 先生方は、にこにこと応対してくれる。 ありがたいことだと思うし、学校に行っている間はお願いするし かないことでもあり、教師と親の良好な関係はとても大事だと思 っている。 昨年の担任と、もぐちゃんの様子を話していて、少し涙ぐみそう になりあわててごまかした。 帰り道は上向き加減で歩いてきた。
もう一つ、久しぶりに山形に電話した。 父の後妻さんである母の声を聞いた。 地震のときに電話できなかったことを詫びた。 怖かったこと、電気がつかなくて寒かったこと、食べるものがな かったことなどを話していた。 それでも、我が家のことを心配してくれる。 母の日に間に合わなかったが、現金書留を送ることを知らせる。 何か物が届く日には家にいたいと母が言うからである。 電話を切ってから、母が元気そうだったので安心して涙が出た。 血もつながっていないし、生家の家庭崩壊の原因になった女性な のだが、35年も経つともう母と呼べる人がいるだけでいいと思 えるようになってきた。 実母も夫の母もいない我が家で、もぐちゃんがじーじ、ばーばと 呼べるのは、別れた父とこの母だけなのだから。 もし、この2人に子どもができていたら、わたし達はどうしてい ただろうか。
人生にたくさん有った「もしも」から今を選んで歩いています(市屋千鶴)
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