昨日、もぐちゃんを学童に迎えにいくために自転車に乗ったら、 そこで初めてベルが壊れていることに気づいた。 ベル=チリンチリンがくるんとそっぽを向いていた。 チリンチリンを止めているベルトが割れていた。 困った、というか、またチリンチリンが壊れたのかよと思った。 前の自転車もチリンチリンのふた部分がどこかに行ってしまって ならせなくなっているのだ。
今朝、学校で授業の準備をしているもぐちゃんのすぐそばに、他 の児童のコートが落ちた。 机の中にノートや筆箱を入れるのに懸命だったもぐちゃんは、そ のコートを踏んでしまい、踏んでしまったことに気づいていなが らも足をどかせないでいた。 机の中にものを入れ終わって、初めて足をどけた。 それを見ていた担任が、もぐちゃんに注意して、あやまろうねと 促したが、その謝り方がどう見てもいやいやしているようだった。 そこまでは、母であるわたしはただ静観していたが、きちんと謝 らないので呼びつけて叱り、もう一度謝らせた。
落ちたコートは、昨日の日記に書いた子のもので、それを拾おう としていたのは彼のお母さんだ。 くしくも、絶対許さないともぐちゃんがつぶやいた相手である。 そんな意識はなかったかもしれないが、苦手意識というのは残る もので、もぐちゃんの視野には入っていなかったのかもしれない。 それに、机の中に入れる作業と呼びかけに耳を傾けて足をどかす という作業が同時にできなかったのかもしれない。 自分の中で、作業の順番があって、自分のやりかけたことを止め ることができなかったのかもしれない。 だから、踏んでしまって足をどかせなかったことは、仕方がない こともあると思っている。 だから、そこは先生にまかせた。 母親の出る幕ではないと思った。
しかし、すまないことをしたとは思っていても、注意されたとい うことにカチンときて、ちゃんと謝らなかったのは見過ごせない。 これは、母親のしつけの問題だ。 謝るべきときはちゃんと謝る。 それができなかったので叱った。 生きていく上でどんな人にも必要なことだから。
だが、そのときのもぐちゃんには、母親は先生と同じに叱っただ けに思えたかもしれない。 自分が叱られた原因の行動について、母親が理解しているという ことを伝えないままに叱ってしまったので、帰ってからフォロー しようと思う。 問題行動の原因はどこにあるのかを模索することが支援教育の基 本なのだと思う。 もぐちゃんが足をどかせなかったことの理由を2人で考える。
無意識と意識の境をあいまいにしたまま君は今を生きてる(市屋千鶴)
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