鶴は千年、生活下手

2008年02月03日(日) あと2、30年

入院している間に、実際に透析に通う病院を見学に行く機会が設
けられる。
わたしが、東林間の駅のそばの病院にしたのだが、見学に行くと
ベテランのソーシャルワーカーさんが応対してくれた。
そして、子供のことを話していて4歳であることを言うと、それ
は大変だったでしょう、と言ってくれた。
そう言われて、思わず涙ぐんでしまったわたしだった。

入院する前、自分では比較的元気だと思っていたし、担当医師も
数値の割に元気だから、と言っていた。
しかし、実際に透析を開始し、透析後の吐き気も頭痛もめまいも
息切れもしない自分を取り戻してみると、自分がこの4年の間、
しんどかったのだ、我慢していたのだということに改めて気付か
されるのだった。
それを実感してきていた頃だっただけに、大変だったでしょうと
いう言葉には、聞こえる以上の衝撃があったらしい。

そして、これからお世話になる医師の方には、「まだまだお子さ
んも小さいのだから、これから20年、30年と生きてもらわな
くてはならないと思っています。きちんと体調管理して頑張って
くださいね。」と言われた。
わたしは、母の年齢(58歳)くらいまでが精一杯なのだと、知
らないうちに決めていたのかもしれない。
だから、子供との時間が短いような気がして、焦っていろんなと
ころに連れて行こうとしたりしていたような気がする。
そうか、20年、30年、透析しながら生きて行かなくてはなら
ないのだ、いや生きて行けるのだと、背中を押されたような気が
した。

退院する前日に担当医師から聞いた嬉しい話。
多発性のう胞腎の新薬が開発されていて、現在治験中なのだそう
である。
その薬は、進行を止めることができるらしい。
あと数年したら、その薬も実用化されるのだろう。
「お子さんは男の子だが、のう胞が出来ないとは限らないので、
社会に出ることに検査してあげてください。のう胞があるような
ら、その新しい薬を投与すれば進行を抑えることができるから。」
担当医師からそう言われ、とても嬉しかった。
そして、退院してすぐに姉に電話し、このことを伝えた。
昨年結婚した姪にこの薬が間に合えばいいなあと思いながら。


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市屋千鶴 [MAIL]