鶴は千年、生活下手

2008年02月01日(金) 入院してました

日記上で新年の挨拶もしないままに、入院していました。

1月15日に入院して、31日に退院した。
入院して翌日から透析が始まった。
なにしろ、5月の終わりにはシャントを作ってあったので、もう
いつでも透析できたわけである。

緊張のまま、一回目の透析。
初回なので、水を抜いたりしない、いわゆるクリーニングのみと
いうもので、3時間の透析だった。

透析室のテレビをつけると、歌会始めの映像が流れた。
ちょうど、青森県の男性の歌が紹介されている場面だった。
「田づくりは今宵かぎりと焼くわらの・・・・・・」という歌。
この歌が詠唱されている時、アナウンサーが歌の背景を説明して
いたのだが、それを聞いていたらなぜだか涙があふれて仕方が無
かった。
   60年間、妻と二人でやってきた米づくりを、
   大腸ガンを患ってやめることにした。
その心境に思いを馳せた時、農家にとっての農業をやめるという
決断のつらさを思い、幸せだった自分の農家の子供時代との別離
にまで思うが至り、涙があふれたのだと思う。
生活に根ざした短歌は実に良い。

そんなこんなで3時間の透析は終わり、枕が合わなくて首筋が痛
いなあと思いながら、夜はあまり良く眠れなかったような気がし
ていた。
しかし、翌朝目が覚めたら首の痛みも消え、吐き気も頭痛もめま
いも息切れもしない自分がいた。
歩く早さも知らず知らず速くなっていた。
貧血はまだまだ改善しているわけではないのに、息切れしないの
である。
ああ、あの息切れは腎不全の症状の一つだったのだと思った。

病室は4人部屋で、わたしを含め3人が山形県出身であった。
いきなり病室は故郷の話題でもちきりになった。
とはいえ、他の二人は60代なので世代の違いはあるし、それに
山形県とはいえ、尾花沢と鶴岡と白鷹町といった具合で、出身地
はバラバラなので、お互いにへえと感心することが多く、話題に
事欠かなかった。

そして、病室からは大山や丹沢の山並が真正面に望むことができ、
朝日が登る頃から、山肌を光と影が刻々と模様を描き続け、それ
は丹沢に日が落ちるまで続くのだった。
一日中、山並を見ていると、懐かしさが込み上げてくるのだった。
やはり、わたしは山を眺めているのが性に合っているのだろう。
などということを考えていると、病院の一日はあっという間に過
ぎてしまうのだった。

透析は月水金で、透析の無い平日(日曜以外)には必ず何らかの
検査が入っていた。
眼底検査、ツベリクリン反応、腹部エコー、腹部CT、胸部レン
トゲン、頭部MRI、胃カメラ、心臓エコー。
最後に大腸バリウムエネマ。
もちろん、その間に尿検査や血液検査も入っていた。

大腸のバリウムエネマというのは、腸内を空っぽにして(下剤を
使用)肛門から空気とバリウムを注入し、大腸の輪郭を明確にし
てレントゲン撮影するというものである。
何がきついといって、下剤で出し切りことと、注入された空気で
お腹が痛くなることであろう。
下剤はともかく、注入された空気が上がってきて、胃の方まで苦
しくなるのはちょっとしんどかった。
胃の辺りを押さえ込むようにして検査室から戻り、ベッドに横に
なれば今度は下からガスが出るのでトイレに行くといった具合。
しかし、昼食を食べたら、食べ物で押されたからか大きなオナラ
がでて、すっきりしたのだった。

検査の結果、脳内に静脈瘤もないし、大腸にも問題は無いし、胃
の方は今まで通りの胃薬で良いということだし、悪いのは腎臓だ
けのようだった。
3週間の予定が2週間ちょっとで退院できたのは、こういった検
査をびっしりとスケジューリングしてくださった担当医師のおか
げなのである。

長くなるので、また後日。


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市屋千鶴 [MAIL]