梅雨寒よりも秋の長雨の方が、神経痛持ちには辛い。
今のところ、腰や足が痛いわけではない。 ただ、気持ちは沈みっぱなしである。
夫が元気の無いわたしのためにかいがいしく働いてくれるのを見 ては、ますます沈んでしまうような状態で、床につく頃には呆れ られてしまうのだった。 なんだかんだと話をして気を取り直したりはするのだが、やる気 の無さ加減にはあきれられても仕方が無いだろうと思う。
日曜日はほぼ一日もぐちゃんを見てくれていたわけで、これ以上 贅沢を言ってはいけないと思っている。 どんなに夫がかいがいしくしてくれていても、母親のように子供 に神経を向けっぱなしではなくて、自分の見たいテレビは見たり するわけだ。 なにも、ずっと神経を子供に向けている必要はないということは 理屈ではわかっているのだが、子供の声一つで血圧が上がるよう な母性というものを持っている以上、父親よりも子供の要求や困 難に対して敏感なのはやむを得ないと思う。
だから、「ちょっとーっ、テレビばっかり見てないでよ。手元を ちゃんと見てよね。」と言いたくなる時もあるのだ。 しかし、がんばってくれているからと、その言葉は飲み込んでし まう。 飲み込んでしまうが、そう言いたいことは、一度や二度ではない ので、その度にそれを押さえ込んでいると疲れてしまうのだ。 それ以前に、そう言いたくなってしまう自分に疲れるのだ。
夫は、どういう場面でわたしが言葉を飲み込んでいるのかを知り たいらしいが、わたしもそれをいちいち覚えてはいないところが 別の意味で情けない。 説明するのも、なんだか情けないような気もした。
これは、ほんとにわたし自身の問題であるので、そのことで夫に いやな思いをさせるのは申し訳ないと思っている。
気分転換には、掃除が一番だよと夫は言うのだが。
目に見えるものが手っ取り早いから身辺整理してみませんか(市屋千鶴)
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