鶴は千年、生活下手

2005年05月08日(日) ぷらむの日

今日はぷらむの日。
少し早めのお昼ご飯を食べさせて、夕食は三人ともカレーと決め
て家を出た。
昼食にちくわのキュウリ詰めを作ったので、余ったキュウリを短
いスティック上にしたり、スライスにしたりして小鉢に入れた。
これをもぐちゃんに持たせて食卓まで運ばせたところ、食卓に置
いた途端にキュウリを食べ始めてしまった。
ほんとにキュウリばかり食べてしまうのだった。
それも、生意気に皮の近くは残して種のまわりの柔らかいところ
を重点的に食べていた。
キュウリに負けて、豆腐とか、ひじきの煮物とかの出番が少なか
ったのである。
思いっきり預けてしまったのが失敗だったと反省しつつ、夫に後
を任せて電車に乗った。

先月が五人だったので、今日は四人増えただけなのにみんないる
なぁと思って嬉しくなった。
今月のお題「ガラス」。
 花冷えの今日一日をガラス戸に残る結露に知らされている
                         (市屋千鶴)
 浮世絵の女のようにペコポンと薄いガラスを鳴らして暮らす
                         (市屋千鶴)
 明日また生きてゆかねばならぬからガラスの靴を履いてはならぬ
                         (市屋千鶴)

一首目。
「ガラス」の歌を作ろうとして、最初に頭に浮かんだのは、
「窓ガラスに残る結露に知る寒さ」だった。
五七五で終わってしまった。
これでは俳句で終わってしまうといじくり回して出来上がったの
がこの一首目だった。
いじくっているうちに、語順が入れ替わったようだ。
行きの電車の中で思い返していた時には、初句二句と三句四句が
逆になっていた。
東先生にも、逆の方がいいと指摘を受けた。
 ガラス戸に残る結露に花冷えの今日一日を知らされている(市屋千鶴)

二首目。
誰の作品だったか、「ビードロを吹く女」の浮世絵。
「ビードロ」と言わずにガラスを使ってそれを表現しようとして、
「薄いガラス」となったわけなのだが、それが思いのほか評判が
良くて恐縮してしまうのだった。

三首目。
俳句のような五七五の次に浮かんだのが「ガラスの靴を履いては
ならぬ」という言葉だった。
これを下の句に持ってくるための上の句がなかなかできなかった。
ぷらむのみなさんは、決意を感じると言ってくださった。
東先生からは、「ならぬ」を繰り返すよりは「明日また生きてゆ
かねば」で止めて、次にガラスの靴を形容する言葉を入れてみて
はどうかと言う言葉をいただいた。
実際のところは、上の句は「非シンデレラ宣言」のような固い決
意ではなくて、生きて行かなくてはならないという仕方なさを込
めたかったので、「ならぬから」が必要な気がしたのだった。
でも、「非シンデレラ宣言」はかっこいいなとエヘラエヘラして
しまったのだった。


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市屋千鶴 [MAIL]