鶴は千年、生活下手

2005年02月16日(水) 校門までの友情の話ー1

 三人で肩を並べて歩くのも校門までの友情だった(市屋千鶴)

わたしの入学した高校は、1学年240人中、女子生徒は10人
から13人という、ほぼ男子校状態だった。
何の授業も男子と一緒だった。
体育ももちろん一緒で、同じメニューをこなすのだった。
家庭科の授業は無く、年に3回ほど放課後に特別授業が有った。
旧制中学であったこともあり、同窓会はそのころからの同窓会で
ある。
実際にその高校に入学した本人やその親しい間柄の人間でなけれ
ば、わが母校は男子校だと思われていた。
女子生徒の存在を知っている人は、少数派だったのである。

列車通学(電車ではなく、ディーゼル車である。)をしていても、
わたしの校章を見てそれだと瞬時に判断できる人は少なかった。
高校の名前は出てきても、定時制だとか通信制だとか言われた。
定時制の生徒がその時間に列車に乗っているわけも無いし、まし
てや通信制の生徒が平日の昼間に通ったりはしないのにだ。

同じ高校に入ったのは、柴崎君と柴田君とわたし。
入学試験の時にはわたしだけ別の教室になったので、2人のいる
教室まで行って3人で昼食を食べたりしていた。
それを見た他中学の女子生徒は、とても羨ましいと思ったらしい。
合格してからも、柴田君ちに柴崎君と一緒に行ったことがあった
りして、1年生の間は同じ中学からという仲間意識は強かった。
柴田君はすぐに下宿生活を始めたが、わたしは冬だけ下宿するこ
とにしていたし、柴崎君は3年になるまでずっと列車通学だった。

高校に入った頃、まだまだ列車通学にも慣れていなくて、混んで
いる場所に乗ってしまったことがあった。座れなかった。
最初の頃は、同じ高校に通う者同士ということもあり、柴崎君と
一緒に乗っていた。
並んで立っていたが、だんだんと混んできて足下が見えなくなっ
ていった。
わたしは、まだ刈り上げから少し伸びた程度の髪の長さだった。
その上わたしの襟元は父親のワイシャツだったし、さらにトレン
チタイプのコートを着ていた。
上半身だけを見た他校の生徒は、わたしを男子生徒だと思ったら
しい。
わが校に女子生徒がいるとは全く思っていないようだった。
柴崎君は、くすくす笑っていた。(なんか、くやしい。)
スカートを履いているのが見えたなら、また別のひそひそ話をさ
れていたのかもしれないが。

ちなみに、高校には制服が無く、男子には基準服といって学生服
が有ったが、女子には何の基準も無かったので、元師範学校とい
う近くの女子高の制服を作って着ていた。
しかし、ブラウスまで同じではなく、わたしは父親のワイシャツ
を着ていたのである。

それ以来、その場所には乗らなかった。
列車の中では、次第に柴崎君とも別々に乗るようになり、わたし
は私立の女子高に入学した同期生と一緒に座るようになった。
北山形駅で列車を降りると、その女子高の子たちとは反対方向に
歩くことになるのだった。
そして、そこから女1人に男2人という3人連れになるのだった。


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市屋千鶴 [MAIL]