鶴は千年、生活下手

2004年12月11日(土) 井戸端の新しい形

木曜日、一駅電車に乗って、相模大野の駅ビルへ出かけた。
子供達が遊んでいる場所。
平日の昼間は、母子達でいっぱいだ。
その遊び場所の一角で、若い(わたしから見ればみんな若いけど)
お母さん達が4、5人かたまって話をしていた。
どうやら、いわゆるママ友さん達らしかった。
もぐちゃんと遊びながら、聞くとはなしに聞こえた会話の内容か
ら察すると、他のお母さん達のうわさ話をしているようだった。
お母さん達の話以外にも、妊娠中の職場の話とかも出ていた模様。
しかし、聞くとはなしにここまで聞こえるというのもなぁ。
一人、声の大きなお母さん(体格も少し大きめ)がいて、その人
の声がよく聞こえたのだ。
こんなところでも井戸端会議なんだなぁ、となんだかおかしいよ
うな悲しいような気がした。

わたしにはママ友という人はまだおらず、ハロー・マザークラス
で一緒だったママさん達と、ときどき遭遇する程度だ。
だから、そういう時にする話は、お互いの子供の話と情報交換が
主になる。
これが、しょちゅう子供の遊び場で一緒になるような間柄になっ
たら、話の内容も井戸端会議的に変わらざるを得ないのだろうか。

そういえば、銀行員時代はそういう話はあまりしなかったなぁ。
誰それがどうしたと、その場にいない人の話はあまりしなかった。
もっとも、わたしの友人達はそれぞれが個性的でもあったので、
お互いの話題にことかかなかったということもあるのだが。
(話の種の筆頭はわたしだったけど。へへへ)
転職したさきは女性が少なかったので、少ない人数で一緒にお昼
を食べていたのだが、その時の話題はいつも他人のことだったな
と思い出した。

わたしの銀行員時代は、いろんな意味で人間関係に恵まれていた
のだと思う。
それをつまらない男に引っかかって借金し、自分から捨ててしま
ったのだから、転職先でのいろんな苦労は自業自得なのだろうと
思っている。

しかし、そのおかげで夫に出会えて、もぐちゃんを授かったのだ
から、なるべくしてそうなったのか。

そうそう、井戸端会議の解釈が多少偏っていることは、自分でも
認識しているので、あしからず。

今日は忙しい。
16時からケーブルTVの点検があるので、それまでにユニディ
に行って来なくては。
今、テレビ東京の「ジャスティライザー」を見ながら日記を書い
ている。
もう少ししたら、夫と、相変わらず遅寝のもぐちゃんを起こす。
掃除して、お昼を食べたらレッツゴーである。

明日はぷらむの日。
短歌会の後の忘年会も参加予定。(夫に感謝。)

 それぞれの形が有っていいことはわかっていても気になる他人(市屋千鶴)


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