一昨日、昨日と、昼寝をほとんどしていなかった。 そうなると、睡眠時間は約5時間ほど。 今のわたしには、物足りない。 だから今日は、散歩はやめて昼寝の日にした。 思いっきり真っ昼間に眠る心地よさよ。(笑)
昼寝と言えば、姉は最初にくも膜下出血の手術をしてから、誰か が家にいないと昼寝が出来なくなっていた。 今は気分が悪い時などに横になっているからなんとか大丈夫なの かもしれないが、その頃は怖くて眠れないのだと言っていた。 たった一人でいるときに、何か起きて目が覚めなかったらと思う のだと言っていた。 健康な人間でさえ、ふとしたときに考えてしまうようなことかも しれない。 だが、二度と切れないとは言い切れなかったその頃の姉にとって、 その恐怖は何倍も強かったに違いない。
実際に数年後にもう一度切れて手術したのだが、今後だって切れ ないとは言い切れないのだ。 人工透析をしている人のほとんどは、心臓が脳出血が原因で亡く なるのだとも言っていた。 様々な悪条件を抱えながら、毎週ボーリングに通っている姉。 わたしよりも、ずっと行動的だ。 それでも、今月山形に行くと言う姉に、少しだけ不安を感じてし まうのは、母が同じく九月に山形に行ってきたあとに倒れたから なのだろうか。 来週末には山形に行く姉一家。 帰ってきて、叔母の家での集まりに元気で出られることを願う。 集まる日の翌日が、母の命日。 30歳直前だったわたし。もう14年が経過した。
アメリカに行っていた叔母(今度集まる家の)からもらった電話 では、産後に面倒を見にきてくれると言ってくれた。 どこかしら、後ろ姿が母に似ている叔母。 本当に好きな人ができた時に、自分を大事にしておけば良かった と必ず思うから、自分の体を大事にしなさいと教えてくれた叔母。 (その教えには、その時すでに背いていたのだけれど。) 夫と結婚しようと思うと報告したときに、涙を流して喜んでくれ た叔母。 短気で喧嘩っ早いわたしなのに、あなたが優しいから旦那さんも 優しい人が見つかったのよと言ってくれた叔母。
夫が育児休暇をとれればいいのだけれど、その後でも叔母には甘 えておこうかと思うのだった。
「今年はね、いいことばかり続くから。」叔母の言葉を胎児に伝える (市屋千鶴)
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