鶴は千年、生活下手

2003年08月12日(火) 船の歌

だめだめだ〜ん、な今月の「ぷらむ」の歌。

行きはフェリー帰りは青函連絡船 十四歳の我を忘れず(市屋千鶴)

船頭の唱う舟歌 寝たきりになりて久しい叔父を思いぬ(市屋千鶴)
(舟歌=最上川舟歌)

ふるさとに工房を持ちて倒れたる叔父の花瓶に生花を挿せず(市屋千鶴)

1首目。
十四歳は自分にとっては人生の分岐点だったから、この年の修学
旅行は忘れられないものだった。
転校する前の大事なイベントだったし、初めて船に乗ったことで
もあったし。
ストレートに修学旅行という言葉を入れてしまえれば良かったの
だが、どうも上手く出来なかった歌である。

2首目、3首目。
この「叔父」は三男である。父の下の下。
叔父は、民謡が好きで民謡歌手としてレコードも出していた。
父の兄弟姉妹は、みな歌がうまいし、手先が器用である。
父のすぐ下の叔父は民謡を唱い三味線を弾く。
一番下の弟は、なんとか刺繍(よく知らない)というのをやって
いて、生家には大きな虎の刺繍や花の刺繍が額に飾ってあった。
姉妹達は歌もうまいし、編み物や洋裁や和裁が達者である。

この歌の「叔父」は、民謡は趣味が高じたものだが、本業として
ガラス陶芸というものをずっとやっていた。
東京でときどき開かれる個展を見に行ったりもしたことが有るが、
ふるさとに工房を持ったということを知ったのは、叔父が倒れた
ということを知ったのとほぼ同じ時期だった。
それきり、寝たきりの状態なのだという。

叔父からは、くすんだ橙色の丸い花瓶をもらった。
それはわたしが十五歳の誕生日で、祖父のお葬式の日だった。
その頃はまだ修行中だからと、どこにも名前は入っていなかった。
何もしてやれないが、記念に持っていてくれと言われた。
寝たきりの叔父を思うと、枯れてしまう生花は挿せなくなった。

船の歌と考えた時に、やっぱり思い浮かべたのは、「青函連絡船」
と「最上川の舟下り」だった。
「最上川の舟下り」と言えば、「最上川舟歌」がうかび、民謡を
唱う叔父の姿が思い出された。
そして、その思いは、手もとに有る橙色の花瓶に及んだのだった。

思いが強すぎる時、それをきちんと整理してから短歌に作りなお
さないと、今月の歌のようなひとりよがりな歌になってしまう。
まあ、締め切り当日に、ばたばたと作ってること自体に問題があ
るということは、もうとっくにわかっているのだけれど。(笑)

「ぷらむ短歌集1」をじわじわと読んでいるのだが、今のわたし
が二十首作るとしたら、どういう一連になるのだろうかと思った。

 お祭りの席ではいつも唱いあう親族の中わたしも唱う(市屋千鶴)

初めてお祭りの時に唱えと言われてわたしが唱ったのは、秋田民
謡の「どんぱん節」だった。その次は、「真室川音頭」だったか。


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市屋千鶴 [MAIL]