鶴は千年、生活下手

2003年07月22日(火) 分岐点

人生の分岐点なんて、たくさんあるようにも思えるが。

両親の離婚という出来事は、自分ではどうしようもない分岐点で
はあったのだが、高校受験というものが自分で方向を決める最初
の分岐点ではなかっただろうか。

わたしは、生家を出る前から志望校はずっと同じだった。
母子家庭になってから、高校の先の進学か就職かを考えて志望校
を変更しようと思っていた。
が、担任の先生は、それは入学してからの三年間で考えればいい
と言い、それもそうだなともともとの志望校で受験した。

前の中学の仲間は、皆ランクを一つ下げて、安全圏を狙っていた。
成績やその後の先学のことを考えると、もしかしたら1ランク下
げて推薦を受けられるようにしていれば良かったかとも思う。
だって、1ランク下げていたらだいぶ成績が良かったはずだから。
進学した高校では、盲腸で入院する前までは中くらいだったが、
入院後はなかなか追い付けなくて、ずるずると下位の方まで下が
ってしまった。
もともと努力型で成績を維持してきた人間ではないので、それは
それで高校生活は楽しんではいたのだが。

結局大学には進学しないで、浪人してアルバイトをし、専門学校
に入学して、みんなより一年先に社会人になった。

が、本当のところ、あの高校に入っていなければ、いつまでも楽
をしたままで社会人(たぶん教師)になって、勉強がわからない
のだという生徒の気持ちを理解できないでいたかもしれない。
わたしの人生の分岐点で、中くらいにおさまるはずの高校に入学
し、授業についていけないという辛さを体験して、初めて中学校
までのクラスメイトの気持ちがわかったと思うのだ。
わからないところは聞けと教師は言うが、何がわからないのかも
わからないのがついていけないということなのだ。

高校の時、そこをきちんと把握して教えてくれた同級生は、北大
の医学部に現役で入学した女子生徒だった。
彼女は医者の娘で三人姉妹の真ん中。三人とも医学部だ。
彼女の患者にならなりたいなぁと、そのころ思ったものだった。

どの分岐点もその時々でその選択をしなければ、夫との出会いは
なかったわけで、今が良ければそれでいいのだと思うのだった。
夫と出会ってからは、二人の分岐点になるのだけれどね。

 いくつもの分岐の先に君がいた 我より少ない分岐持つ君(市屋千鶴)


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市屋千鶴 [MAIL]