快調みたい、というのは、少々甘かったようだ。(汗)
昼寝の前に、頭の中に浮かんだ言葉達。 きっかけは「サクランボ泥棒」だった。
サクランボ → 家のある木 → 柿・りんご・梨 → 食べる実 → 桑の木 → 蚕 → 繭玉 → 真綿 → 母の布団作り
この言葉達の間には、その言葉にまつわる様々な思い出があって、 どんどんわたしの思い出は農家だった頃の暮らしに戻っていた。
我が家でサクランボを作っていたのは、わたしが小学生の頃。 出荷していたという記憶は無くて、自分の家で食べるためだった のだろうと思っている。 やけに背の高い木になっちゃったなぁという記憶も有って、なぜ だかその木の登って実を採った記憶もあるのだが、はたしてそれ は本当のことだったのか。
しかしそのサクランボは、今出回っている佐藤錦なんかとは全く 比べ物にならないほどすっぱいものだった。 ちゃんと赤くなる前の実を採ってしまって、渋みが残っていたの も覚えている。
生家の庭には、柿の木が有った。 その柿は渋柿で、焼酎で渋抜きをして食べた。 小学二年生くらいの時、柿を食べ過ぎて吐いたことも、わたしの 知り合いの間ではかなりポピュラーな話題である。
母の実家では、庭ではなく、裏の畑の所にりんごの木と梨の木が 有った。 やはり家で食べるためのもので、仏壇に青い小さなりんごを繋げ たものを飾ったりした記憶が有る。あれはいつのことだったか。 母の実家の庭には、しゃぐみ(ぐみの一種らしい)の木もあって、 いとこ達と実を採って食べた。 養蚕をしていたころは裏の畑で桑を栽培していて、みんなで桑の 実も食べて、唇や舌を紫色にしていた。
ここから先は、蚕を飼っていた頃の話になるのだが、それはまた 後日ということで。
まだ青き桜桃の実の渋ささえ懐かしくあり農家の記憶(市屋千鶴) 2001.06,08作
本日改作 まだ青き桜桃のみの渋ささえ幸せだった農家の記憶(市屋千鶴)
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