夫のやっているゲーム「ANUBIS」。 主人公が乗っているオービタルフレームが、昨夜新しいデバイス プログラムを入手した。 要するに新しい機能が備わったってことなのだが、これがなんと ロックした相手の背後に瞬時に移動できると言う優れものだ。 その名も「ゼロシフト」。
知らないうちにいろんなデバイスプログラムを入手していた夫の オービタルフレームは、桃太郎侍のように、敵の無人ロボットを 薙ぎ払って進む。
そのゼロシフトを入手したのは、オービタルフレームではなくて やや古い型式のロボットに乗っている40人の人々と、目的地ま で行くという作戦を成功させた後だった。 40体のロボットを助けながら目的地まで移動するなんて、実際 のことであればそんなこと不可能である。 あちらこちらからSOSが発信され、その度に夫の機はそちらに 向かってダッシュする。まだゼロシフトがないからね。(^^;
しかしながら、自分の身も守らねばならないし、味方のロボット は敵にたいしてあまりにも無力だった。 半数近くの19体を失って、なんとか目的地についた。 きっとやり直せば、もっと多くの味方を救えたのかもしれないが、 それは2回目に遊ぶ時にするらしい。 とにかく、先に進まねば未来が開けない。 ゼロシフトを入手した夫の機は、敵の本拠地に向かって桃太郎侍 のごとく、突き進んでいく。
そんな夫を端で見ているだけのわたしだが、それでも、SOSを 出しながらも悲鳴を上げている味方の声が聞こえてくるたびに、 そっちそっちと言わずにいられなかった。
誰かを守りながら戦うことは、大変なことだ。 守りながらというのは、一人で戦うよりずっと力が必要だ。 守るために戦うのとは違う。 守るために一人立ち上がるのは、かえって容易いのかもしれない。 自分はどうなっても、守るべきものを守りさえすればいいと思う のと、守るものも自分もこの場を切り抜けなければならないのと では、戦い方だって違うだろう。
失うものを持たない人は強いというが、それは捨て身の強さとい うことで、想像が付く。 守るべき人を守りながら己自身も守っている人は、とてつもなく 強いのではないか。
手のひらに何を守って生まれくるものか小さな桃太郎たち(市屋千鶴)
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