今日の昼休み、ナイスなタイミングで届いたゆうパック。 おししいその中身はシフォンケーキだ。 友人の手作りのそれは、バナナの香りのおいしいケーキだ。 夫のために残しておくことの困難さを切実に感じながらの夕刻。
午後の会社で、事務員Kさんと子供の頃のおやつの話をした。
わたしの生家は向かいの家が駄菓子屋さんという、子供にはたま らない環境だった。 おまけにお向かいのお姉さんは姉と同じ年で、妹さんはわたしの 一歳上という姉妹だったので、二人にかわいがってもらった。 お姉さんのほうは、わたしが中学生になっても「ちこちゃん」と 呼んでくれていた。(おっきな体でかわいい呼び名だ。)
で、5円玉とか10円玉とか握ってお向かいに走るのだが、子供 の頃から大きかったわたしは、大きくなるにつけ駄菓子屋さんの 商品では物足りなくなっていた。
よく、子供がお菓子なんか食べてご飯が食べられなくなるでしょ って叱られたりするが、わたしはそう言って叱られたことがない。 なぜなら、お菓子を食べてもご飯は十分食べられたから。 お菓子を食べたことすら気付かせないような食べっぷりだった。
そんなわたしの、育ち盛りのおやつは、以前にも書いたが野菜。 夏は、トマト、キュウリ、トウモロコシ、スイカ、それに茄子漬。 秋や冬は、ジャガイモの甘辛あんかけ、ふかし芋、おにぎり。 そして、餅。おひな様の頃はくじら餅。 くじら餅とは、米の粉と砂糖で作る餅。 子供の頃は、白いくじら餅には食紅で色が付けられていて、切る ときれいだった。 それと、くるみの入ったみそ味のものなど、3種類くらい有った。 今では、くるみが入っているのがほとんどで、白いか、薄茶色か、 茶色かの3種類になってしまったらしい。
柔らかいうちは、切ってそのまま食べる。 かたくなったら、あぶって食べる。 母の実家では、おひな様の頃には、あん餅(あんこの入った餅) も紅白で作っていた。
こういうものがわたしのおやつだったのだから、大きくならない わけがないか。 そして、洋菓子をおやつに食べたこともないし、従って作る習慣 もない。
手作りのシフォンケーキを食べる機会なんて、43年の人生の中 で片手で足りるほどの回数しかなかった。 ほんとにありがたいことだ。
控えめな甘さと香りにその人は思いの丈を込めるのだろう(市屋千鶴)
|