| 2003年01月25日(土) |
一人で思うことの意味 |
恋について語ることなんて、表の日記では、いや表の世界では もうずいぶん長いことしていない気がした。 たぶん、この日記の書き始めの頃「傷つく覚悟」という文章を 書いたが、それ依頼かもしれない。
一人でいることが大事なことも有る。 誰かと一緒にいるよりも、一人の方が寂しくないとき。 二人でいるのに寂しいと感じるとき。
二人でいても寂しいのならば、一人になって寂しいほうが当り 前だと思える分だけマシなのではないか。 だから、そんな関係になってしまったら、さっさと別れてしま ったほうがいいのだと思ってしまう。 いくら一緒にいて抱き合っていたとしても、一緒にいて寂しい と思う相手というのがいるものなのだ。 それは、相手がもともと暖かくない人なのかもしれないが、付 き合っていく内にそういう関係になってしまった二人の責任で もあるのかもしれない。 若い頃からの偏った恋愛経験で、そう思ってしまう。
ずっと一緒にいても、相手の気持ちが動く度にびくびくしたり、 相手が何を考えているのかが気になって仕方がなかったり、何 でもない相手の言葉を深読みしすぎて疑心暗鬼になってしまっ たり。そういう経験はないだろうか?
自分に自信がないままで、いくつもの疑似恋愛をこなしてきた わたしには、そんなことばかりだったように思う。 好きな相手の気を引くために何かが出来る、という性格ではな かったから、いつのまにか二人でいるのに一人で落ち込んでし まったりしていた。 突然、落ち込んで涙ぐんでしまうような女を、男は持て余して しまうだけかもしれないというのに。
楽しい恋愛だけがいいと言うものでもないだろうし、ただ楽し いだけの恋愛は、もろいものなのかもしれない。 しかしながら、一人で勝手に苦しんでしまう恋愛では、いつま で経っても二人になることは出来ないように思う。 苦しみや悩みは、とりあえず両思いならば、話をしてみること をしなくてはならないよね。 そこまで成長した恋愛にしなければ、先は見えているというこ とだとも言える。
一人で誰かを思い続けることは、きっと人にとって欠かせない 経験なのだと思う。 いつも、好きな相手は必ず自分のことを好いていてくれた、と いう経験しかない人は数少ないだろうが、もしかしたらそれは 気の毒なことなのかもしれない。
そんな意味で思春期の片思いは、大切なことなんだと思う。 一人で相手を思うことを練習するって言う意味で。 いつもいつも、相手に思われてばかりの恋愛をしていると、思 うこと下手になってしまいそうだ。 思うことが下手だということは、思う相手の気持ちを推量るこ とが苦手だということではないか。 いつも思われてばかりの人は、自分が思いを寄せている相手を 観察することが苦手なんじゃないかな。 観察と言うと言葉が変だが、要するに好きな相手のちょっとし た動作や表情に敏感でいられるというだろうか。
一人で人を思うということは、自分の心を見つめると同様に、 好きな相手の様子に敏感でいられるということなのではないか。 人を思いやることを養う一つの方法、それが片思いなのかもし れない。
擦り減った階段の下を行き過ぎる君の背中に告白をした(市屋千鶴)
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