鶴は千年、生活下手

2002年11月30日(土) 霜月の終わりに

1日が終ってもいないのに、こんな時間にもう今日の分。
うんとむかしの雪国の霜月のお話。

東北では、11月に初雪が降る。
初雪が降る頃には、「雪降しの雷さま(らいさま)」と呼ばれ
る雷が鳴った。夏のものとはまったく様子の異なる雷。
夏の雷は、もやもやしたものを吹き飛ばしてくれるような勢い
を感じさせるが、この時期の雷は、何がそんなに悲しいのだと
問いかけたくなるような物悲しさを感じてしまう。
夏の雷雲のようにもくもくと育っていく威勢のいい雲ではなく、
気づかないうちに薄暗くなっていて、その中の特別暗い辺りか
ら雷鳴が轟く。

この先半年の間、そんな灰色の濃淡でできているかのような空
を、毎日のように眺めて暮らしていく自分の気持ちを哀れんで
くれるかのような、そんな悲しい雷に思えていた。
たまの青空に、どうしようもなくうれしくなって、授業さえも
ほったらかして外で遊び回りたくなった。
雪の中での遊びも充分に楽しいものだけど、たまの青空は格別
だった。

雪降しの雷が鳴る前に、男達は出稼ぎに行ってしまう。
女と子供と年寄りだけでも大丈夫なように、充分な雪囲いをし
て出かけていく。次に会えるのは正月。
だから正月は、村の女達にとって、子供達にとって、年老いた
親達にとって、ほんとに特別なときだった。
10月生まれは、出稼ぎから一時的に帰ってきた夫から授かっ
た子供なのか。

どんよりとした灰色の空や、雪とおんなじ白い空や、モノクロ
の世界に暮らしていても、針葉樹は濃い緑を挑戦的に発してい
るし、子供達の防寒着は雪に映える明るい色ばかり。
雪の多かった頃は、男達を出稼ぎに出した後の女達の結束も固
かったように思う。
今は雪が少なくなって、人間関係の暖かさも少しだけ少なくな
ってしまったように思えてしまう。

方言でさえ、都会から嫁に来た「あねちゃん」(若いお嫁さん
のこと)達のなかからだんだんと薄れてしまっている。
わたしなどが帰省した時には、言葉は上京する前(20年以上
前)のものになってしまうから、地元の人以上に訛っているな
どと言われてしまう。
本当の地元の訛りなどよく知らない人達にそんなことを言われ
てしまうとは、何とも情けない話だと思ったりもする。

霜月の終わりには、つらつらと田舎のことを考える。

 10月に生まれたわたしの体にも愛の形に血が流れるのか
                          (市屋千鶴)


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