| 2002年11月19日(火) |
誰も知らないよね季節託児所 |
ヒーローものについて熱く語ってしまうのは、なぜだろう。
わたしは幼稚園って、行ってなかった。 村には保育園があったが、行っていなかった。 農繁期には、公民館で子供を預かってくれる「季節託児所」と いうものがあった。 わたしはその「季節託児所」育ち。(笑) でも、記憶はあんまりなくて、姉が迎えに来てくれていたこと と、おにぎりを食べたことしか覚えていない。 ああ、なんか絵を見て名前を言うっていうようなことをやって いたような気はするが。
「季節託児所」に行ってる以外は、基本的に家にいた。 母はわたしにテレビを与え、チャンネルをいじることを知らな かったわたしは、母が映していった「教育テレビ」を毎日見て 暮らしていた。 英才教育? いやいや、わたしの生まれ故郷ではそのころ、民放は1局だけ で、あとは○HK総合と教育と、3つしかなかったのだ。(涙) 実験をやってるとことか、訳も分からず見ていた。 結構面白いと思っていた。
だからか。 教育テレビで見たものって、必ずメッセージがあるように思う。 お話の番組、人形劇、明るい仲間などの道徳の時間に見ていた ような番組。(道徳って今はないんだっけか。) そういうものを見続けていたから、子供の見る番組には熱い心 が必要だなんて思ってしまうんだろうか。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− なんだか、東京同窓会が終ったら、ぼーっとしてしまっている。 気が抜けたっていうかなんというか。 それに、なんか、しゃべり足りない気がしている。 本番が終って、同窓会について語り尽くしていないという気持 ちがある。 まだまだ話したいことがいっぱいあったのに。 司会の準備やなにやらでみんなと話す時間があんまりとれなか ったもんなぁ。(;_;)
昨年から準備のメンバーになっている人は、もう充分だという 気持ちがあるのだろう。 しばらく静かにしていたいみたいだ。
ほんとに、ぼーっとしている。 いや、なんとはなしにさみしいものを感じているのだなぁ。 酒でも飲みながら、なんかパーッとしゃべりたい気分。(笑)
なにもかもぼんやりとした空の下ミトコンドリアの切ない暴走(市屋千鶴)
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