「隙 間」

2012年07月09日(月) 「ヒアアフター」

「ヒアアフター」

をギンレイにて。
スピルバーグ総指揮、クリント・イーストウッド監督作品。

霊と交信できるジョージは、その力を隠して暮らしていた。
マリーは大津波に襲われて臨死体験をした。
少年マーカスは双子の兄を亡くし、頼れるものを失ってしまった。

三者はやがて出会う。



マリーが津波に襲われるシーンが、昨年から何度も目にしてきた「現実の津波」の映像と重なる。

ちょっとこれ、どこですか?
「ディズニーランド」だよ。

これは?
仙台の空港らしいよ。

窓の外の黒煙は?
テレコムセンターの方らしいよ。

落ち着くまで、何かできることがなければ仕事でもするしかないね。

エレベーターが止まったままの地上二十階。
階段も、おりている途中で揺れて転倒転落しないよう、そして外部での被害を避けることも含め、しばらく自粛。

あれ。帰れるの?
歩ける道があれば、なんてことないですから。

そう言ったのが、一年と少し前。

最近は、電気料金と再稼働の話ばかりしか見かけない。

それはつまり「政治」の話であって、身近というには、一枚何かが挟まって感じられる。

そんなことを思い返した。

それくらいの感想しか湧いてこないが、ジョージ役のマット・デイモンを久しぶりに見た気がする。

わたしはとりわけ俳優に詳しいわけではないが、だからこそ名前が思い浮かぶのは有名人だったりする。

何々に出てた誰々が、といった話をして返ってくるひとが、なかなかいない。

やや歳上の、まだ気が若い方々、例えばアニメ漫画に詳しい春さんや、テレビはまったく観ないが名画の類いならわかる虎子さんあたり。

「ピアース・ブロスナンを最初に知ったのは、探偵ドラマの、ブルームーンじゃなくて……」
「レミントン・スティールやろ。月のは、ブルース・ウィリスのブルームーン探偵社でしょ」

といったことがポン、と出てくる。

わたしの場合は、もっぱら姉の影響でそれらを観てきたので、世代やらがちょうど合うのだろう。

俳優の名は繋がらなくとも、本の感性について、わたしのめんどくさい論説に付き合ってくれる貴重な正一くんもいる。

果たして、個人的な趣味嗜好に触れるような雑談の類い以外、何を話しているのだろうか。

社会や政治や経済のカタコトくらいは会話できるようにあろうと思っているが、そんな言葉や用語は、周りから露とも聞こえた場面がない。

もとより勤務時間中に休憩以外で私語など好ましいものではないと思っているが、だからこそ。

自分と世間の情報にどれだけのギャップがあるかを確認する機会なのである。

上っ面だけの情報ばかりでも、無関係に見えるそれらを繋ぎ、編み合わせてみれば意外な模様が出来上がったりする。

それが的外れなのかそうでないか、自分で見出だした答えなのか既に誰かが出した答えなのか。

「メンドクサイひとですねぇ」

村上春樹作品に対するわたしの距離の置き方、接し方について語ったときに、正一くんに言われたことである。

「文学であり、読んで一度は身体を通しておかねばならないという義務感であり、好きではないが嫌いではない。
物語の寒暖の差が激しくなく、かといって決して快適に満足させるようななま易しい文章でもない。
気付けば温度がなく、また気付けばジットリとまとわりつき、サウナに迷いこまされるようなときもある。
アクがあるほどのクセはないが、しかし全体通してクセモノで満たされている」

といったようなことを評しただけである。

これに限らず、彼にはかれこれ三度ほど、同じことを既に言われた覚えがある。

それならば、何度でも言わせてみせよう。

自分ですらもつれてからまり、身動き出来ぬくらい一筋縄ではゆかないわたしの思索の森は、まだまだ奥が深い。


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