川上未映子著「ヘヴン」
クラスで男子にいじめられている少年は、ある日机の中に、
「私たちは仲間です」
という手紙を発見する。 同じクラスの、そちらは女子にいじめられている少女からだった。
学校では互いに言葉を交わしたりしない。 しかし、ひっそりと手紙をやりとりするくらい。
いじめは毎日、歯を磨くのと、息をするのと同じ感覚で、続いている。
「意味なんかない。やりたいと思ったことをやるのに、いちいち意味なんか考えないだろう?」
「いじめられていることには、私たちにとって大きな意味があるの。 いじめている連中には絶対にわからない、私たちの存在意義のようなもの」
「お前は、ただ受け入れているじゃないか。抵抗することもできる。ひとりずつナイフで殺して回ることだってできるというのに」
学校の外で、たまに少年と少女は会うようになる。
しかし、それがある日クラスメイトたちにバレてしまい、囲まれてしまう。
紫式部文学賞だかをとった作品らしいが、賞はともかく、川上未映子作品として発表当時かなり話題になっていたのである。
「乳と卵」「わたくし率イン歯ー」から、それなりに期待していた作品であった。
ニーチェ的なんたらで神の存在をきっただの、大層な感想が目についたりしたが、なんてことはない。
少年は斜視で、それが原因でいじめられている、と思っていた。 しかし、いじめる側の男子のひとりとの会話の中で、そんなことが理由じゃない、とサラリと重さもなく言われてしまう。
少年の斜視の眼を、少女は「好きだ」といった。 「それこそあなたが他の連中とは違う、あなただけの目印」で、「きれいな目」だと。
手術で簡単に治るよ、と医師に言われる。
「一万五千円くらい」
で、その眼が治ってしまう。
たった一万五千円で、エスカレートし過ぎているいじめがすべてなくなるとは思えないが、何かが変わるに違いない。
せめて「自分の目印」がなくなるくらいは、
変わってしまうかもしれない。
やがて決断し、少年は手術を受ける。 それまで厚みのない薄っぺらな世界にしかみえていなかった毎日。 少年は、立体感と鮮やかさのある世界を手に入れる。
今までの作品の語り口とは、違う。
だからこそ、なのか、傑作だ素晴らしい、と思うのかもしれない。 しかしわたしは、そんな大層な、と思ってしまうのである。
何を「らしさ」というのかまだ曖昧だが、川上未映子作品に対するわたしが感じる「らしさ」を、感じなかった。
もっとこう、水溜まりからチロチロと流れる水のような、どちらに流れるか判断つきがたいがたしかにあちらに向かって流れている、といったような。
今回の「ヘヴン」は、その水溜まりに映った世界、なのである。
どこかへ流れ出すのではない。 見上げて見えた空がそこに映っていたと気付く。
作品をまだ二、三しか読んでいない程度のわたしの印象なので、まったく勝手なものである。
どうやら今のわたしは、もっとザラザラした作品を欲しているようである。
卓の上に平積みになっている未読のものが、二桁をとうに超えてしまっていた。
それでも、週末毎にまた積んでいってしまう。
調子を戻さねば。
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