七月一日。 映画サービスデーである。
しかし平日、仕事がある。
いやいや。やってられるか、勝手気ままに、気楽にあれもこれもと、いいおって。
急にそんなことをいっても、わたしひとりしか、できないのである。
いう前に、できるひとの顔を数を、きちんと想像してから、いってもらいたいものである。
ええい。 やってやるしかない。
と、その前に。
「告白」
を有楽町日劇にて。
この作品は、原作を既読済みである。
原作を読んで、さらに映画も観る、というのは、わたしにすれば久しぶりのことである。
とかく、この作品。
観て損はない。
ゾクゾクとさせられた。 キャラメルポップコーンSサイズと、伊右衛門と、ジャガリコを膝の上に抱え、一心不乱に、見入っていた。
おかげで、ジャガリコを上映終了までに食いきれなかったほどである。
それはもちろん、音を出して邪魔にならぬよう、口内でしっとりさせてからすり潰し飲み込む、という時間のかかる食べ方をしていたからでもある。
原作の巻末にある解説の中に書かれていたことだが。
本作品は、すべてがそれぞれの告白という、主観で語られている。 ある人物が信じていることが、別の人物が語るなかにおいては、別の事実、感情として語られる。
つまり。
誰の告白が事実であり真実であるのか。 それが、疑い始めると切りがないほど、事実も、真実も、告白という虚偽の世界に包み隠されてしまう。
松たか子演じる森口悠子の台詞。
「なーんてね」
が、それをまざまざと表しており、まことに、
「してやられた」
と噛み締めさせられてしまうのである。
告白します。
私は本来ならば、映画を観に有楽町へゆくつもりはありませんでした。 やらねばならない仕事を考えれば、八時か九時、そこそこ限界までやっておいたほうが、明日以降が当然楽になるのですから。
それでもわたしには、それよりも早めに仕事を切り上げなければならなかった理由があったのです。
わかる方は、想像してください。そうです、ゆかねばならないところがあったのです。
そう。 大森です。
ビルのセキュリティ・ゲートを抜けて、関係者が辺りにいないことを確認してから、訪問の電話をいれました。
いつも通り三回も呼び出し音がならないうちに受話器がとられ、わたしは、いつもながらこれから伺いますと告げたのです。
すると、受話器の向こうから不穏な空気が流れだしたのです。
「学会で今日明日いらっしゃらないのです」
だから休診させてもらってますとのことでした。それを聞かされたわたしは、前回そんなことひと言もいわれなかったことに、疎外感、すくなくない衝撃を受けました。
なんということでしょう。
わたしは大概、二週に一度訪れることになっているのですが、毎回予約などをしていませんでした。 曜日も時間も、いつも大体同じに決まっているというのにです。
きちんと予約をしていれば、その時点で学会の予定などわかっていたはずです。 わたしの横着さが招いたことです。 それなのに勝手に疎外感を覚えたり、自分がいったい何様になったつもりなのでしょう。
思い上がりも甚だしいです。
そうなると、また来週ということになりますが、わたしはまたしてもそこで予約をとりませんでした。
その足で電車に乗り込み、有楽町へとむかったのです。電車内で上映時間を調べながら。
本当に便利な世の中になりましたね。 そんなことをいったら、自ら年寄り臭いといっているようなものですが、いいのです。
不便を知っていることは、それは財産のようなものです。
今の子どもたちも、それなりに不便なことを自らの財産として、これから先の人生においてきっとどこかで役立ったり、もしかしたら、ふと振り返って呟いてみるだけのことになるかもしれませんね。
話がそれました。
わたしはそうやって、有楽町の日劇なら今からでも間に合うとふんで、むかったのです。
全席が座席指定なので、とても快適な場所で観ることができました。
整理券のみの、開場と同時に早足で座席を取りにゆく必要がありません。 これもむかしに比べれば。
もう結構ですね。 劇場に入る前に、飲み物とお菓子の類いを購入することにしました。 売店のものは高いですからね。
だけどポップコーンだけは、別です。 あれは劇場内に限ります。キャラメルソースがまた、疲れを癒やしてくれます。
カロリーだコレステロールだ、健康面をかんがえれば、あまりよいものではないかもしれません。
しかし、それは社会における必要悪だと思いませんか。
気をつけるきっかけを促すもの。 気がつかなければ、それがあることすら知らないまま、知らずに一生を終えてしまうのです。
悪を語るのに、善だけを語るつもりはありません。 悪を語るのには、やはり悪を語る必要があるのと同じです。
またまた話がそれてしまいましたね。 大丈夫です。 もうすぐ、この話も終わります。
とにかく、そうしてじっくりと、作品を鑑賞したのです。
映画は卑怯なまでに、素晴らしい。
そう思ったのです。 役者、音楽、映像、効果。 文字だけでしか語れないのに比べると、甚だ激しい嫉妬を覚えさせられてしまいました。
この映画「告白」は、まさにそう思える作品です。
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