| 2009年07月06日(月) |
「ねじまき鳥クロニクル」 |
村上春樹著「ねじまき鳥クロニクル」(全三部)
日本が世界に誇る村上春樹の作品であり、三巻構成ということでわたしは後込みしてなかなか手を伸ばそうとしていなかった作品。
だいたいが二十ページごとで章(?)が変わり、そんな調子だから、次々と先へ引き込まれていったり、その度にひと息ついたりできるので、三巻構成など全く意に介さずにすむ。
この作品は、同著「海辺のカフカ」に通じる物語の舞台構成(「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」も?)になっている。
現実世界と架空世界が密接に関係し、架空世界というのは過去の歴史であったり精神世界であったり、同時並行世界であったりする。
個と個が繋がっている全の深層心理の世界、とでもいおうか。
全ての問題はそこからはじまり、現実世界に現れる。 現実世界に現れた問題を根本的に解決、決着をつけるために、深層世界でそうしなければ、ならない。
ところが。
物語が進んでゆき、気がついてみると主人公である「僕」は、決定的な解決を自らの手ではつけられずに、終わってしまう。
解決だけにすまされない。
全てにおいて、僕は自らの手によって決定的な何かを完遂することが、できない。
僕が巻き込まれてゆく様々な事件や出来事、そしてそれらの行き着く先は、個人ひとりの力など、しょせんなにひとつ及ぶものではない。
定められた大きな流れ、もしくは大勢に委ねざるをえない、と繰り返し説いているようである。
しかし、個の存在やその努力を軽視しているのではない。
大勢のなかで抗うこと、個であることに執着すること、個と個でまたひとつの個となろうとする意思や行為は必要であり、その過程で大勢のなかに埋もれてしまわない個となってゆける。
本著の結末に、いささか消化不良の感を覚えてしまうかもしれない。
しかし、この物語に明快な結末、結論などないのかもしれない。
物語はすでに終わっている。
それが結末なのではないか。
わたしたち人間は、生を受け、産声をあげたそのときには、もう「死」という結末に向かっているという結論。
そこに至るまでの人生という過程を、生きている。
だからといって、わたしたちは自らの人生の目的、目標、夢、記憶、感情などこそが結論や結果であり、あえて「死」というわかりすぎるものをそれとしない。
ちんぷんかんぷんだった、よくわからなかった、というような、明確な一点の結論、結末を求めたがためにそう思えてしまうかもしれないが、過程のひとつひとつを振り返ってみれば、こう思うだろう。
たしかに面白く読まされたかもしれない。
と。
村上春樹は、やはり素晴らしい作家、なのだろう。
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