「隙 間」

2009年04月10日(金) 春を掬う「墨東綺タン」

 ちいさな姉妹が、花びらの絨毯にうずくまり、すくってはまき、すくってはまいてうち興じていた。

 春爛漫。

 通勤電車に乗り込んできた女子の髪に、花びら二枚、絡まりあしらわれていた。

 花薫る。

 池の水面が、花びらで一面彩られている。
 靴の先で、知らずに花びらをすくいとっていた。

 春を、掬う。

 永井荷風著「墨東綺タン」

 墨東とは、浅草から隅田川を渡ったすぐのあたりをさす。
 そこの娼婦お雪となじみになり、そのおわりまでを街の風景や季節の移ろいなどを織り交ぜて描かれている。

 荷風行きつけの店のひとつ、かしわ南蛮の浅草「尾張屋本店」になら行ったことがある。
 なかなかふつうの蕎麦屋であるが、それは「誰々御用達」を掲げる店のどこでも、同じようなことがみられるだろう。

 味ではなく、名前や由来で腹五分を満たすと思えばよいのだ。

 作中に「尾張屋」は出てこないので、あしからず。

 あらためて思うに、近所はまことに、文人と縁がある地に近い。

 森鴎外は池之端、樋口一葉の菊坂、夏目漱石の本郷(東大)。
そして、神楽坂や小石川界隈には内田百ケン先生や、最近だと、色川武大(阿佐田哲也)さんなども彼の地で過ごし、それを作品にしたりしている。

 いったい現代において、「某の街」となると、いったいどこの街になるのだろう。

 そういわれて、ぱっと名が思い浮かばない。

 ファックスやインターネットの普及や、匿名保護の必要性や、そこでなければならない理由が希薄になっている便利な御時世だからなのかもしれない。

 それより以前に、現代作家で「文豪文人」といわれて、いったい誰の名が挙げられるか、ひじょうに難問ではあるが。


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