「隙 間」

2009年03月19日(木) 勝利とわたしの中の「イチロー」が囁く

 WBC日本代表、キューバに勝ちました。

 先日の韓国戦に敗れたとき、黄木氏とこんな話をした。

 黄木さん。これで日本代表はおしまいじゃあないですよね。
 キューバ戦に勝てば、次に進めるはずですよ。
 じゃあ、なんでそんなに悲壮感たっぷりなんでしょう。次に勝ちゃあ、万事オッケイなのに。

 黄木氏は、でもキューバですよ、と苦笑いを浮かべていた。

 だいたい、相手投手ひとりを、さも最大の難敵、と取り上げ過ぎだったでしょう。それからして、キューバって今回はそんなに強くない気がするんすよね。

 黄木氏がキョトンとした。

 たしかにキューバは強い、と思う。

 が、

 怖く

 は、感じないのである。
 対策を用意する相手がいるならば、そうすればよいだけである。

 対策のうちようがない、というほどの怖さではないことの証拠である。

 よいではないか。

 たとえ、韓国に一度も勝てずとも、優勝すれば世界一なのだ。

 それを、かっこつかない、真の世界一ではない、と、仮に韓国がこの立場になったとしたら、そんなことをいうだろうか。

 言わないだろう。

 我々が世界一だ。
 これがその証拠だ。

 と、優勝杯を指して胸を張って言うだろう。



 さて。

 イチローが二安打と、復活の兆しをみせたとのことらしいが、あやしいと思いはじめている。

 映像をみたわけではないが、火事場の、ではないかと、頭をよぎったのである。

 代表選考のころの、様々なコメントを思い出す。

 まだ選ばれたと決まったわけじゃないから。
 選ばれたわけじゃないのに、チームを引っ張るとか、そんなことはこれっぽっちも思っちゃいない。

 選ばれたら、そうしたら、そのときにやるべきことやらなきゃならないことは、もちろんやりますよ。
 当然じゃあないっすか。

 日本が求める「イチロー」と、イチローが望んでいる「イチロー」。
 それは間違いなく、天と地ほどの差があるのだと思う。

 イチローとしては「イチロー」ではない「イチロー」が求められる。
求められた「イチロー」は、それがイチローの「イチロー」ではなくとも、「イチロー」としてイチローでいなくてはならない。

「イチロー」ではない「イチロー」としてやらねばならないこと。求められること。

 それは、当然やる。

 だから、その姿を、若手や日本の他の選手に見せたい。
 いや、見るべきだ。

 苛立ちや悔しさを隠しきれずに、

「驕った立場じゃなく、僕ひとりが駄目だから勝てない、なんてチームじゃないですよ、日本は。
 間違いなく、強いチームです。そうであってくれないと、困るでしょう」

 と、わたしのなかのイチローがコメントをしているのである。

 映像を観てしまわないうちに、書いておこう。

 なんにせよ、今日のキューバ戦の勝利を喜び、明日の韓国戦でのよい試合結果を祈ろうと思う。


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