「隙 間」

2009年01月18日(日) 食らわねば

 わたしの週末のいきつけの店に、神保町「徳萬殿」がある。

 この店は、野菜摂取が乏しくなりがちな食生活のなかで、これでもかと野菜を供してくれるありがたい店である。
 また、超特盛りの店として紹介されたりもする、一部の間では名が知られた店でもあり、慣れぬひとは定食を頼む際、まずはご飯少なめで頼むのを勧めたい。

 歯抜けではありながら、わたしはそこに、かれこれ三年ほど、週末のみだがお世話になっている。

 かといって常連ぶる顔をすることはない。

 黙々と本を片手に野菜山盛りの皿をつつき、てんこ盛りの白飯を突き崩してゆく。

 わたしが注文する品も、いい加減店員にも図り知られているようである。

 茄子肉炒め。
 レバニラ。

 概ね上の二品なので、知られるもなにもないかもしれない。

 超特盛りのうち、野菜が九割、レバーや肉(豚)は残りの一割程度である。
皿自体は、おそらく三人前といっても過言ではないと思う。

 わたしは混雑が好きではない。
 したがって、それを過ぎた頃合いを見計らって店に行くのだが、どちらかが品切れになってしまっている場合があったりする。
 どちらかはあるのだからいいではないか、と思われるかもしれないが、そうはいかない。

 上野は谷中から、神田は神保町までの間に、てくてくと歩きながら、茄子肉なら茄子肉、レバニラならレバニラ、と思いを固めていたりするのである。

 もちろん、それは店に入ってどちらにするか突然決まる、ということも往々にしてあるから一概にはいえない。

 しかし、ないものはないのだから仕方がなく、あるほうを食べなければならない。

 それがイヤならば、品切れになる前に、もっと早く行けばよかろう、というのが正しいのだが、混雑がイヤなものはイヤなのだから、そっちのほうが仕方がないのである。

 わたしが顔を出し、いざ注文を、という段階で、

「今日は茄子あります」

 どうやらわたしは茄子のほうを頼む機会が多いらしいことに、我がことながら気づかされつつ、じゃあそれで、と注文する。

 厨房に注文が入ると、たまに

「それで最後です」

 と声が返ってくることがあり、それが聞こえると心なし得をした気分になる。

 先日、まさに注文を取りにきたその直前になって、ふと口を突いて出た「レバニラ」の言葉に、わたし自身が驚いた。

 店の扉を開けるところまで、茄子でゆこう、と思っていたのだ。

 すると店員は「そっちできたか」という顔で伝票に走り書き、厨房に持ってゆき、そこで、

「それで最後です」

 との声が聞こえてきた。
 山盛りのニラとモヤシとほどほどのレバーをつつきながら、口の周りをてらてら光らせて舌鼓を打ち、栄養素と満足感にしっかりと満たされることができた。

 わたしの体内に、獣性が足りていない気がしている。

 言葉が、表現が、感情が、草食動物のように大人しくなりすぎているのだ。

 そろそろ肉を食らわねばならない。
 健康診断なるものが控えていることを考慮せねばならないが。


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