折りに触れて話そうかと思っていたのだが、その「折り」というのが、山折りなのか谷折りなのか、そもそも折れているのか、などとせっかく折り上げた鶴をわざわざ解いて開いてみたりするうちに、はたしてこれは鶴だったのかヤッコだったのか判別がつかなくなってしまった。
よい機会なので、折ってあろうがなかろうが、紙は紙なのだから、そのまま開いて広げてみようと思う。
わたしの原稿を預けたままの制作会社が、どうにも連絡がとれなくなっているようである。
おそらく折からの経営危機にさらされ、起業してもまだ心許なく、世界の荒波に飲み込まれ、翻弄され、身ひとつでなんとか沈むまい、と踏ん張っているのかもしれない。
対外的なものなど差し置いて、内部の屋台骨を支えるためには致し方ないのかもしれない。
波間に漂う紙切れは、それではわたしが回収しよう。
権利が今のところ先方のものだという根拠が見当たらず、では、わたしのものへと返してもらっても文句は言うまい。
原稿料を持ち逃げされたわけでもなく、そんなものはそもそもはじめからないのだが、べつに構うまい。
今さら返されて困るのかといえば困るわけでもないし、さらに返せと後々いわれてもそこでやはり返したところで、いっこうに構わない。
いってしまえば、これは過去のものだ。
過去は過去であり、過去は過去のなかでのみ漂うにまかせるだけである。 明日にはみ出てきては、それこそ困る。
余計にはみ出ないよう、過去は過去にくさびを打ちつけておくものである。 だから、今日や明日にその影がチラつくこともなく、晴れやかに進んでゆくこともできる。
期待を外してしまった諸兄姉には申し訳ないが、また別の機会に期待願たい。
新装開店、心機一転、試して合点。
合点はいかないが、立ち止まるつもりはない。 ゆるいカアブでゼロを描きながら、ときにはスウイッチバックをしながら、天を目指す。
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