井上荒野著「ズームーデイズ」
ズームーとは、同棲相手の癒し系の頼りなさげな男のあだ名。
アームー。 ズームー。
と、いい年をした大人が呼び合い、しかし恋人同士のはずなのに「仲良し」と互いの関係を呼び、アームーは妻帯者であるカシキと関係を持ち続ける。
ズームーデイズとは、そんな、失うものも得られるものも、みんなどこかで繋がっているようでバラバラで、確かなようで不確かで、始まっているようで終わっているような、だけどやっぱり、終わりもしてはいない、ズームーと過ごした日々のこと。
アームーは、ガンの宣告を受け、
「死ぬのが怖いとは思わない。死ぬことで、生きていた証拠を残すことができるのかもしれない」
と考える。
死にたい、と考えていたわけでもなく、生きている意味を探していたわけでもない。
死ぬならば、不倫相手のカシキのマンションから飛び降りてやろうか、そうすれば、自分との関係をあからさまに割り切り過ぎていてなんだかムカつくカシキに、ささやかな抗議をしてやれる。 彼がコトを終えてシャワーを浴びている隙に飛び降りてやろう。 だけど、素っ裸は恥ずかしい。 消防隊員や第一発見者に裸を見られてしまう。ならば、せめて私がカシキの愛人だと思いっきりわかるように、セクシーなそして上等な下着で飛び降りてやろう。
だけど結局、ふつうの下着で、いつもと変わらずまぐわって、そしてやっぱり愛人といえるほどの愛され方をしたりされたりしているわけでもない、いつも、を繰り返してゆく……。
そんなまま十年後の自分になりたくない。 せめて、愛人、だといえるようにはなっていたい。
あっちゃあいないけど、間違いというわけでもなく、いや、そうでもないのか、という、ちょっとしたリアルな感情がはしばしにみられる。
やがてアームーは、ふと恋をして、病も再発しないまま、ズームーデイズがいつの間にか終わってしまっていたことに気づく。
だけど、生きている日々って、そんな風なものだと思う。
カチッと、答えなり結果や成果を出してゆくことなんか、なかなかできないだろう。
出せたなら、どれだけ楽で、面白みの少ない今を積み重ねてゆかねばならないことか……。
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