夢見る汗牛充棟
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「その日」
●月●日
太陽が昇りかけたとき
あなたは出かける人を見送った
太陽が一番高くなるのも待たず
あなたは鼓動を止めたらしい
太陽が沈んだその夜
駆けつければ
静かで騒々しいその家で
あなたはひとり布団に寝ていた
きれいな顔で眠っていた
「唇を湿らせてあげて…」
あなたのお母さんはそういった
水を含んだ脱脂綿
あなたは息をしていない
あなたの傍らに肩を落として座り込む人
彼は今日で一人になった
力のぬけた肩の線を騙された気持ちで
わたしはみていた
かける言葉はなにもない
わたしが唇を湿らすと
あなたのお母さんはひどく泣いた
けれどあなたは動かない
裏切られたような気持ちだったよ
翌日から
あなたはすでに儀式のために
花に包まれ箱のなかに横たわる
見慣れたあなたが箱の中で
じっとしている どうして
たくさんの人が訪れる
誰もが日常をおっぽりだして
あなたのためにかけつけたのだ
こんなにこんなに
洗い物やらで奇妙な忙しさに
なんとなく救われた
祭壇の写真のなかのあなたが
とても見慣れたあなただったので
わたしは箱の中のあなたを
本当は見たくなかった
焼香、そして線香の煙を絶やさぬよう
箱の傍らに立つ人々
わたしよりもっともっと近しい人たちが
思い出話をしている
眠れぬままに見守って 迎えた朝
あなたのお母さんが たった一度さけんだ
「かえってきて おねがいだから かえってきて」
崩れるようにして泣いていた
今も耳をはなれない痛い声
あなたには聞こえなかったのか
そして 儀式がはじまった
重ねる儀式と読経の声と
絶えない煙と 香のかおり
少づつあなたをこの世から
消してしまう手続きがすすむ
精は空に 名は虚に
臓物は 灰になり
きよらかな 白が残った
奇妙にきれいな 白を
わたしたちは一片づつ壺に納めた
一番上に 頭の骨
上の歯並びが見えたとき
ああ、これはあなたなんだなと感じた
大きな長い箱に入っていたのに
終いに人の胸の中におさまるだけの
小さな箱に入ってしまった
あなたはどこにいったんだろう
儀式はあなたを送ってしまった
箱と写真と板切れがのこった
それらをおこなうのは
もうろうとした夢の中にいる
ような気分だった
夢から覚めれば日常が戻る
たった一人の小さなあなたが消失して
大きく変わってしまった世界を
日常にしなければならないらしい
とまどいをならすための
細い煙は今日も絶えない
家に小さな箱がある
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